saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「究極の錬金術 2」by OSHO,

最初の質問 (08)

( 献身の人は 馬鹿だ。

が、それには 一つのメソッドが 使われている。

彼らは 狂っているが、一つの方法が使われている )

彼らは「この狂気が、唯一のあり得る 英知だ」と 言う。

もし 自分を愛せないなら、あなたは 愛する ということが できない。

もう一方の端を もたらすことだ −−− 

が、愛は すばらしいものだ。

愛は 余りにもビューティフルだから、たとえ愛のために 自分を二つに分かつとしても、その方が良いだろう。

だから、 バクタ、献身の人、恋人たちは「この世界は リーラ −−− 遊びだ」と言った。

 

ラーダもまた、身を変じた クリシュナだ。

神は 多くのものに化けて 自分自身を愛している。

だから バクタたち −−− 献身の人は あまり深刻ではない。

彼らは言う。

「私たちは馬鹿です。

狂っています。 でも、それで幸せなのです。

あなた方の 潤いのない、死んだ知識など欲しくはありません。

もちろん知は 正確なものでしょう。

でも 潤いが ありません。 死んでいます。

私たちの狂気は、生き生きとしているのです」。

 

知の道を行く者にとって、愛は 考えられない。

彼らは言う。

「もしあなたが 愛するなら、知ることは できないでしょう。

というのも、愛することが 不公正さを与えるからです。

あなたは その対象と 距離を保てない。

探求者とは、知ろうとする対象から 距離を保つ必要があります。対象に のめり込んではなりません。

傍観者であり、心を動かしてはなりません。

傍観者として観察することです。

自分の流れのなかに あってはならないのです」。

 

愛の道を行く者は 距離を保てない。

あなたはマジュヌに「ライラのことから 離れてください」とは 言えない。

それは 不可能だ。

彼は こう言うだろう。

「ライラは 唯一 美しい女性だ −−− その美しさは 今の時代だけでなく、あらゆる時代のものだ」

それは馬鹿げている。 が、彼は ライラを愛している。

愛は そういう感覚を生み出す。 彼は真正だ。

彼が 言うことは何であれ、彼が 思っていることだ。

が、その感覚は 状況のなかに のめり込んでいる人間の感覚、状況に巻き込まれている人間の それだ。

彼は 傍観者ではない。

彼は 距離をおいて ライラを見ることができない。

 

 

 

(08)終わり(09)へ 続く