saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第六章 生のアート The art of living (最初の質問)(02)

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ハシディズムのマスターたちは、そのことを よく知っていた。
歓喜の宗教的儀式、歓喜の踊りに 女性を参加させないのは、非人間的であり 反革命的だ。
だが、 社会が強く 反対していた。
参加を認めれば、運動全体が 途絶えてしまっただろう。
だから、禁じざるを得なかった。

インドでは、仏教が滅亡した。
なぜだか わかるかね ?
それは、最終的に 仏陀が 教団への女性の参加を認めたからだ。
仏陀は、自ら こう言ったと伝えられている、「私の宗教は、少なくとも 五千年存続するはずだった。
だが今となっては、五百年以上 続くことはないだろう。
なぜなら、私が極めて大きな 危険をおかしているからだ」。

単に 女性を教団に入れるということが、「私の宗教の寿命が 四千と五百年 縮まった。
せいぜい五百年しかもたないだろう」と 仏陀に言わしめたほど、危険なものだったのだ。
そして、まったくその通りになった。
五百年間 仏教は生きながらえたが、隆盛を極めることはなかった、絶頂に達することはなかった。
日に日に その命は下降線を辿り、日に日に 死に近づいていった。
何が起こったのだろう ?

社会だ。
社会は、長い間 男性に支配されてきた。
教団への 女性の参加を認めるのは、社会の階級秩序、男性優位を 破壊することだった。
マハヴィーラのような、極めて革命的な人でさえ こう言ったと伝えられている ーー 女性は、女性のまま直接 モクシャに入ることはできない と。
女性は まず男性として生まれ変わり、それから・・・だから、今までジャイナ教のモクシャ、ニルヴァーナに、女性のまま 直接入った人はいない。
女性はまず肉体を変え、男性の 姿・形を取らなければならない。
入れるのは それからだ。

なぜマハヴィーラは このようなことを言ったのか。
社会や国の政治、僧侶や政治家など、あまりに 男性中心主義だったため、少々妥協する必要があったのだ。
そうしなければ、僧侶や政治家たちは 何ひとつ許さなかっただろう。

マハヴィーラは 裸で暮らしたが、女性が裸になるのを 許さなかった。
社会が、マハヴィーラの裸さえ 受け入れようとしなかったからだ。
人々は しぶしぶ、いやいやながら、 徐々に受け入れていった。
だが、女性が裸になる という考えは、とても受け入れられるものではなかっただろう。

そして、「すべてを去らなければ、衣服といえども去らなければ、子供のように無垢にならなければ、生まれた最初の日のようにならなければ、私の王国には入れない」と 言ったがゆえに、女性は直接入れない とも言わなければならなかった。
もし 直接入れる と言っていたら、勇気ある女性がやった来て、衣服を脱ぎ捨て 裸になっただろう。
裸の女性を 避けるだけのために、非常に嘘っぽい 真実でない言葉を口にせざるを得なかった。
マハヴィーラは それが正しくないと知っていた ーー 私はそのことを知っている、なぜなら、私も 正しくないことを数多く言うからだ。
だが私たちは、社会の中で、異常な、混乱した、神経症的な状態の中にいるしかない。
狂人と 一緒に生活すれば、いくらか妥協しなくてはならない。
狂人と 一緒に生活すれば、少なくとも 自分も 狂人の振りをしなくてはならない。



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