saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第5話 ーーー 〈無〉の香り (02)

…( “Yes” と “No” の正体こそ〈無〉の 秘密だ
もう一度 くり返そう
それは 仏陀のアプローチにとって 非常に基本的なことだ

〈無〉というのは “No” と 同一なのじゃない

無というのは “Yes” と “No” の 正 体 なのだ

そこでは 対極どうしも もう対極ではなく

反対どうしも もう反対ではない )


あなたが女の人,あるいは男の人と 愛を交わすとき
オーガズムの その 一点は〈無〉の 一点だ
その瞬間に おいて
女性は もう女性ではなく
男性も 男性ではない
そんな外形は 消え失せてしまっている
男と女という両極性は もうそこにない
その緊張は もうそこにない
それは もう完全に リラックスしている
彼らは お互いの中に溶けてしまっている
彼らは 自分の形を なくしてしまっている
ひとつの定義されざる状態に はいり込んでしまっている
その男は「自分」とは言えないし
その女も「自分」とは言えない
彼らは もう「自分」たちじゃない
彼らは もう 自我(エゴ)たちではない
というのも
自我(エゴ)たちというのは つねに争いの中にいるものだからだ
自我(エゴ)というのは 争いを通して存在する
それは 争いなしでは存在できないのだ
オーガズムの瞬間において
そこにはもう どんな自我(エゴ)もない

だからこそ その美しさが ある
だからこそ そのエクスタシーが ある
だからこそ そのサマーディ(三昧)的な 性質があるのだ


けれども,それは ほんの一瞬しか起こらない
だが,その瞬間でさえ,その一瞬でさえ
あなたの 一生よりも もっと価値がある
なぜならば,その瞬間の中で
あなたは 最も〈真実〉に 近づくからだ
男と女は もう別々じゃない
これらは 両極だ
陰と陽
積極性と消極性
昼と夜
夏と冬
生と死ーーー

こういうものは みな両極性だ
“Yes” と “No” が 出会うとき
反対どうしのものが 出会って,もう反対でなくなるとき
それらが お互いの中に はいり込んで
お互いの中に 溶解してゆくとき
そこに オーガズムがある
オーガズムというのは “Yes” と “No” の 出会いなのだ
それは “No” と 同一なのではない
それは “Yes” と “No” の両方を 越えているのだ


ある意味では それは両方を越えている
が,ある意味では それは同時に 両方一緒なのだ
消極性と積極性の合体こそ,〈無〉の定義に ほかならない
そして,それがオーガズムの 定義でもある
それがサマーディの定義でもある
それを 頭に置いておきなさい


“Yes” と “No” の正体こそが〈空〉の
〈無〉の,ニルヴァーナの秘密だ
空というのは ただ空っぽなんじゃない



(02)終わり・・・(03)へ 続く