saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第十章 東洋と西洋を超えて (第六の質問) (02)

あなたを 不幸にしたのは あなたではない。
それを 取り除くことも、あなたには できない。

あなたは いるのだろうか、いないのだろうか ?


責任とは 存在のことだ。
責任は あなたに 実在を 与える。
あなたを 不幸にしているのは 悪魔だ、そして、神が キリストや マホメッドや マハヴィーラになり、不幸から 救い出してくれる ーー こんなふうに 他人に責任を転化し続けていたら、あなたは 何をしていることになるのだろうか。
あなたは まさしく、サッカーボールのようなものだ。
一方が 神で もう一方が悪魔で、こちらから あちらに蹴られている。
もう いい !
あなたは 言わねばならない、「もういい ! これ以上蹴られるのはたくさんだ」と。

あなたは サッカーボールなのかね ? 責任を 負いなさい。

私は、 あなたを救うために ここにいるのではない。
あなたは、救われようとして ここにいるのだろうが、救うつもりはない。
私は 自分のことを 楽しんでいるだけ、自分のことをしているだけだ。

救われようとか、仕事、キリスト、アヴァターラとかいう観念を 落とせば、あなたは もっと多くのものを得るだろう。
救い という観念をすっかり落とせば、あなたは もっと 救われるだろう。
ただ、私と いるがいい。
商売を 持ち込んではならない。
純粋な 遊びにするがいい。


「(質) あなたが引き受けた仕事には、間違いなく危険があるように思えます」。

何もない、危険はない。
引き受けてはいないからだ。
危険を背負うことなど 何もない、失うものなど何もない。
だから私は、どんな危険も 犯してはいない。

存在するものは すべて存在し続ける。
存在しないものは 存在しない。

それで 何が 危険なのだね ?


誰かが 私を殺したとしても、すでに死んでいる、ずっと死んでいる肉体を殺すに過ぎない。
肉体は 大地の一部だ。
塵から塵に なるだけだ。
私は 殺せない。
生まれる前にも 私は存在した。
死が起こっても 私は存在する。

だから、私に何をしたというのだろう ?

深刻なものなど 何もない。
その人は、きわめて重大なことをした と思うかもしれない。
私を殺した、と。
エスを 磔にした、ソクラテスを殺した、と。

それは その人の考えであって、私の中では物質であるものは 物質に帰り、意識であるものは 意識に帰る ということだ。
したがって、誰も 私を殺せない。
私を 撃つことはできるが、それでも 撃つことはできない。
私の首を 切り落とすことはできるが、あなたの剣は 私に触れない。
剣は 物質だから、私の精神に触れることはできない。

危険もなければ、失敗の可能性もない。
なぜなら、成功の可能性もないからだ。
成功というものがないのに、失敗し得るだろうか。
実のところ、成功、失敗、利益、損失といった 言葉そのものが 馬鹿げているし、まともなものではない。


あなたは「あなたの活動が許されないこともあるだろうし、あなたも間違い、過ちを犯し得るはずだからです。 失敗する自由がなければ、自由などまったくないような気がします」と 尋ねている。

自由とは 絶対的なものだから、正しいも 間違いもない。
何をしても正しい というほどに、自由は 絶対的なのだ。

何かをしなければならず、それが 正しいときと間違っているときがある というのではない。
私の 見地、私の 立場、私の 立っているところから理解しようとしなさい。

何をしようと 完全に正しい ーー 正しさの基準を満たす というのではなく、正しさの 基準がない ということだ。

それゆえ、私は ハシディズムの人と 一緒にいられる。
スーフィーの人とも、タントラの人とも、ヨギたちとも 一緒にいられる。

それは、宗教的 と言われる人々には きわめて難しい。

マハヴィーラといる人が、どうしてマホメッドと いられるだろうか。
不可能だ。
一方が 正しければ 他方は 間違っている。
クリシュナと いる人が、どうしてキリストと いられるだろうか。

一方が正しければ、他方は間違っている。
彼らの数学は 明快だ。
一つしか、正しいものは あり得ない。

私にとっては、基準など 存在しない。
誰が正しくて 誰が間違っているかは、判断できない。

マハヴィーラは、自分のことを楽しんでいるから正しい。
仏陀も、自分のことを楽しんでいるから 正しい。
マホメッドも、途方もなく 自分のことを楽しんでいるから正しい。
喜びは 正しい。
私は 何をしていても、それを 途方もなく楽しんでいる。
喜びに満ちている ということは、正しい ということだ。

たとえ私が、あなたの言うように 間違いを犯したとしても・・・おそらく あなたには、私が 過ちを犯しているように 見えることがあるだろう。
だが、 それは あなたのせいだ、あなたが 何らかの 基準を持ち歩いているからだ。



第六の質問 (02) 終わり・・・(03)へ 続く