saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第11章 : 光、生命、そして愛 (06)


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(…それは ただの象徴ではない。

今世紀だからこそ「それはただの象徴ではない」と 言えるようになったのだ )

もし物質が 光の中に消え去り、光の中から出て来るとするなら、なぜ 生命それ自身が 光の中から出てこないことがあろうかと、神秘家達は考えた。

そして神秘家が 意識の奥 深くに 入るとき、生命の奥 深くに 入ったとき、光に 突き当たった。

 

自分自身の奥 深くに入って行くとは 

より深く より深く、光の根源に 入って行くことだ。

 

それは、外側の光が 唯一の光ではないことを 意味する。

あなたは 内側に 光を有している。

なぜなら、光なしでは、あなたは存在しないからだ。

それが 根本だ。

在る というのは、光の中に 土台がある ということだ。

ほかの存在は存在しない。

だから、あなたが 内側に 入って行くとき、あなたは 光の次元、光の世界 −−− 内なる光を 実感するに違いない。

 

その内なる光と あなたの生命は 

ちょうど 二つの層に なっている。

あなたの生命は 一番 外側の層、そして光は 最も深い層だ。

あなたの生命は 死で終わる。

あなたが 内なる光を 実感しない限り「死は 存在しない」と 知ることはできない。

あなたの生は、ただの 一つの現象にすぎない。

それは 根本的なものではない。

それは、ただ一つの 現象、一つの 波 −−− 

光の内の 波に すぎない。

それは 過ぎ去って しまう ! 

 

もしあなたが 一つの波である生を 通して、 光の もっと 深い領域まで 見通すことができれば、 あなたは不死に なるもの、死なないものを 知ることができるだろう −−− 

光だけは死なず、光のみが不滅だからだ。

全ての存在は 滅びゆく。

全ての存在は 引き出された生、借り物の生を 生きているからだ。

唯一、光だけが それ自身の生命を有する。

ほかの全ては、よそから借りてきた生命を生きている。

だから、人はそれを 返さねばならない。

人は それを 元に戻す必要がある。

だから、あなたが 内なる光を 実感しない限り 

死を 越えたものを 知ることはない。

 

ある意味で、内なる光は 死を越えたものであり 

生をも また越えたものだ。

そうして はじめて、それは不死となる。

 

生まれるものは 必ず死なねばならない。

生きているものは 必ず死なねばならない。

生 それ自身を越えた ものだけが 

死を越えることが できる。

そして、光は 生も死も 越えている。

 

神秘家達が 光について語るときは 常に 死は 存在しない と 語る。

それは、内なる光の中に 入ったとき、生の源に 入ったとき、あなたは 不死なる世界に 入るからだ。

この経文は、両方の意味合いで 使われている。

この経文 曰く

『絶えず内なる輝きに、内なる光に、内なる無限の果実に統一していること、それが礼拝の沐浴だ』

 

 

(06)終わり…(07)へ 続く