経文 曰く
『絶えず内なる輝きに、内なる光に、内なる無限の果実に統一していること、それが礼拝の沐浴だ』
そのように、自分自身の 内なる光、果実、その光のものである不死性を浴びない限り、あなたは 聖なる寺院に入る用意ができていない。
それは 礼拝に入る前の 沐浴だ。
水では 駄目だ。 光が使われなければ 駄目だ。
純粋なる光が 使われなければならない。
純粋なる光を 浴びない限り
聖なる寺院に 入る用意が できていない ということだ。
クリシュナが アルジュナに 彼の無限性を示した時
アルジュナは言った。
「クリシュナ様、 私には あなたが見えません。 光しか見えません。 どこへ行ってしまわれたのですか ?
私には ただ、何千もの、何千もの光が見えるだけです −−− 恐いです。 どうか戻って来てください !」
人が 内なる光の中に 入っていく時 −−− それは そこにある −−−
というのも、それなしでは、あなたは 存在しないからだ。
何ひとつ 存在することは できない。
それは 科学的な事実だ。
光なしでは、何一つ存在できないからだ。
もし何かが 存在できる と すれば
それは それ自身の土台に、光を宿しているに違いない。
あなたは知っているかもしれない。
知らないかもしれない。 が、光は 全ての土台だ。
あなたは 存在する。
それは、あなたに 深い光の世界がある ということだ。
(07)終わり…(08)へ 続く