saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第11章 : 光、生命、そして愛 (07)


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経文 曰く

『絶えず内なる輝きに、内なる光に、内なる無限の果実に統一していること、それが礼拝の沐浴だ』

そのように、自分自身の 内なる光、果実、その光のものである不死性を浴びない限り、あなたは 聖なる寺院に入る用意ができていない。

それは 礼拝に入る前の 沐浴だ。

水では 駄目だ。 光が使われなければ 駄目だ。

純粋なる光が 使われなければならない。

純粋なる光を 浴びない限り

聖なる寺院に 入る用意が できていない ということだ。

 

クリシュナが アルジュナに 彼の無限性を示した時

アルジュナは言った。

「クリシュナ様、 私には あなたが見えません。 光しか見えません。 どこへ行ってしまわれたのですか ?

私には ただ、何千もの、何千もの光が見えるだけです −−− 恐いです。 どうか戻って来てください !」

 

人が 内なる光の中に 入っていく時 −−− それは そこにある −−− 

というのも、それなしでは、あなたは 存在しないからだ。

何ひとつ 存在することは できない。

それは 科学的な事実だ。

光なしでは、何一つ存在できないからだ。

 

もし何かが 存在できる と すれば

それは それ自身の土台に、光を宿しているに違いない。

あなたは知っているかもしれない。

知らないかもしれない。 が、光は 全ての土台だ。

 

あなたは 存在する。

それは、あなたに 深い光の世界がある ということだ。

 

 

(07)終わり…(08)へ 続く