saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第9話 彼方からのメッセージ (07)



(…この般若波羅密多心経(Prajna-paramita Sutra)全体は
その第三から第四へのプロセスにほかならない )


シャーリプトラは第三の頂点にいる
精神圏
内省
思考
自意識ーーー
彼は第三の極限にまで旅して行った
彼はその限界までたどり着いている
もうそれ以上はない
彼は境界線上に立っている

“ それゆえに, おおシャーリプトラよ…… ”

仏陀は境界の向こうに立ってシャーリプトラを差し招いている
「おいで
おいで
まだおいで……」
この経典の全体は
今日の最後の句に凝縮されている
いままでの経文のすべては
この最後の頂点に至るただの準備にすぎなかった


“ Tasmaj jnatavyam prajnaparamita maha-mantoro maha vidyamantoro ’nuttara-mantoro’ samasama-mantrah……”
“ それゆえに 人は知るべきである…… ”
“ Tasmaj jnatavyam…… ”
それゆえに,唯一知る価値のあることはこれである ! ーーー


これがこのビューティフルな対話全体の結論なのだ
この対話は
仏陀とシャーリプトラという二つのエネルギーの間のものだ
というのもシャーリプトラは一言もしゃべってはいないのだから
これは,ギータの中のアルジュナとクリシュナの間に存在する対話のはるか上を行く対話だ
なぜならば,アルジュナは何かを言っているからだ
それは口先のものだ
アルジュナは弟子というよりは生徒に近い
彼は一番最後のところではじめてひとりの弟子になる
彼が弟子になるとき
クリシュナはマスターとなる
もし弟子が弟子でなかったら
どうしてマスターがマスターであり得よう ?
もし弟子がただの “生徒” だったら
そのときにはマスターもただの “教師” にすぎない


ギータが終わるところ
それがこの般若心経の出発点だ
シャーリプトラはひとりの弟子だ
完全に沈黙している
一言たりとも発してはいない
問いのひとつも尋ねていない
口頭ではね
彼はひとつの “ 探索(quest) ” なのだ
“ 質問 ” じゃない
彼の全存在が尋ねている
彼の心(マインド)じゃない
彼は言葉に出してはいない
彼の存在がひとつのクエスチョンマークなのだ
彼は仏陀の前に立っている
彼の全存在が火に焙られて乾いている
燃え上がっている
その彼の状態を見て
仏陀はひとりで語り続けてゆく
弟子の方から求める必要はない
マスターは弟子が必要なときを知っている
マスターは彼が何を必要としているか
弟子自身よりもはるかによく知っている
弟子は待たなければならない
もしかしたら
シャーリプトラは長年にわたって待ち続けてきたのかもしれない
ほとんど20年の間
マスターがその必要を見抜く
マスターが彼の飢えと渇きを感じ取る
彼がマスターからの贈りものを受け取るに値するようになるこの瞬間までーーー
その日がやって来た
その幸運の瞬間が到着した

“ Tasmaj jnatavyam…… ”

仏陀は言う
「それゆえに,おおシャーリプトラよ
これが知るに値する唯一のことである」,と
そしていま
彼は彼の全メッセージをほんの数語に
短いセンテンスに
ひとつのマントラ(真言)に凝縮させる
これは最大のマントラ
なぜならば
仏陀はその中に旅の全体に必要な一切を包み込んでいるからだ
彼はあらゆることをこの短い
ごく短い文句の中にまとめている


それゆえに,唯一知るに値するのは
“ 大いなる真言,大いなる知恵の真言,無上の真言,無比の真言
なる般若波羅密多(prajna-paramita)である


仏陀はそれをめちゃくちゃに賞めちぎっている
最大級の賛辞を並べ尽くさんばかりだ
彼は,これは大いなる真言だと言う
真言,つまりマントラとは
ひとつの不思議な文句を意味する
マントラとは何かということが理解されなければならない


マントラというのは
理解されるべきとてもとても特殊なものだ
それはひとつの呪文
ひとつの不思議な文句を言う
それは
何であれあなたが持っていると思うものは本当にはそこになく
そして何であれあなたが持っていないと思うものがそこにあるという現象を示している
ひとつの魔法の文句が必要だ
あなたの問題はリアル(本物)じゃない
魔法の文句が必要なのはそのためだ
たとえば……
たとえ話をひとつ



(08)に続く