saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第9話 彼方からのメッセージ (06)



(…真実とは〈現存〉だ
もしあなたが現存していたら
あなたはそれを感ずるだろう
もしあなたが現存していなかったら
あなたはそれを感ずまい )


このように
第三段階,精神圏にはニセの自由がある
混乱からあなたは決定する
それがために混乱がつのり続けてゆくのだ
混乱は争いをもたらす
なぜならば,あなたのは中にはつねに二つの面があるからだ
これをやるかあれをやるか
“ to be,or not to be ” ーーー
そして,どう決定したところでもう一方はそこに居坐り
仕返しできるときが来るのを待っている
自由というのは四番目ではじめて起こる


キリスト圏がその四番目だ
キリスト圏とともに〈無心(ノーマインド)〉が姿を現わす
仏陀の無心
キリストの無心
四番目とともに中心(センター)のない
その中に何の自己もない意識がやって来る
何の境目も持たないただの純粋な意識
無限の意識ーーー
そうしたとき
あなたは「自分は意識している」とも言えない
そこには何の “自分” もない
それはただの意識だ
それには何の名前も何の形もない
それは〈無〉だ
それは〈空〉だ
こうなれば意識は必要ない
“洞察” が機能しはじめる
“直感” が機能しはじめる


知能は “教授(tuition)” によって生きる
ほかの人たちがあなたに教えなければならない
それが “教授” だ
“直感(intuition)” は誰にも教わらなくていい
それは内からやって来る
それはあなたの中から成長してくるものだ
それはあなたの実存のひとつの開花なのだ
これが瞑想と呼ばれる意識の特徴だ
直感
洞察
中心(センター)のない意識
無時間性
あるいは,それは〈いま〉と呼んでもいい
〈現在〉ーーー
ただし覚えておきなさい
それは過去と未来の間にある現在じゃない
それは過去も未来も両方とも溶け去っている現在なのだ


シャルダンはそれを “ オメガ点 ” と呼ぶ
仏陀はそれを “ ニルヴァーナ(涅槃) ” と呼ぶ
ジャイナ教徒たちはそれを “ モクシャ(解脱) ” と呼ぶ
キリストはそれを “ 父なる神 ” と呼ぶ
それらは異なった名前にすぎない
この経典の全体は
その第三から第四への転換にかかわっている
精神圏からキリスト圏へ
知能(intellect)から知性(intelligence)へ
自意識から無自意識へーーー
三番目は起きている状態
普通に起きている状態のようなものだ
そして四番目は
パタンジャリが “ テュリア(turiya) ” “ 第四 ” と呼ぶところのものだ
彼はそれにどんな名前もつけていない
そして,それはとてもビューティフルなことのように思われる
キリスト圏と呼べば,それはキリスト教のような感じがする
クリシュナ圏と呼べば,それはヒンドゥー教のようだ
仏陀圏と呼べば,それは仏教のもののように見える
パタンジャリはごくごく純粋だ
彼はただ単にそれを “ 第四 ” と呼ぶ
それはすべてを含んでいる
彼はそれに特定の名前をつけていない
前の三つについては彼も名前をつけている
その三つには形があるからだ
そして,それがどこであれ形があるところには
名前も意味をなす
〈無形なるもの〉はどんな名前も持ち得ない
テュリア
第四ーーー


この般若波羅密多心経(Prajna-paramita Sutra)全体は
その第三から第四へのプロセスにほかならない




(07)へ続く