saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第7話 ーーー 〈無〉に 帰依する (08)

…( けっして結論から行動を起こさないこと )

そういう結論というのは あなたの条件づけであり
あなたの 先入観であり,あなたの 欲望であり,
あなたの 恐怖であり,その他 一切合財の ものにほかならない
つまるところ そこ には あ な た が いるのだ


あなた というのは あなたの過去を意味する

あ な た というのは あなたの過去の 経験すべてを意味する

死せるものに 生けるものを 支配させないこと
過去が 現在に影響を与えるのを 許さないこと
死が あなたの生を 圧倒するのを 許さないこと

それが 瞑想の 何たるかだ

つまり,瞑想には
瞑想の中には あ な た が いない
死せるものが 生けるものを 支配してはいない


この “瞑想” という体験は
あなたに 自分の生を生きる ひとつのまったく新しい質を与えてくれる そういった種類のものだ
そうしたら,あなたは ヒンドゥー教徒だの 回教徒だの
インド人だの ドイツ人だのというふうに 生きはしない
あなたは ただただ〈意識〉として生きる

あなたが その瞬間に生き
そこに 何ひとつとして 邪魔物がないとき
注意力は トータルだ
なぜならば,そこには何も 気を散らすものが ないからだ
散漫というのは 過去や未来から やって来る

注意力が トータルであるとき
行為も トータルだ
それは 何の残滓(ざんし)も 残さない

それは あなたを どこまでも自由にしてゆく
それはけっして あなたに 鳥かごなどつくらない
それはけっして あなたを 閉じ込めたりしない

そして,それが仏陀の 究極の目的地(ゴール)なのだ
それが 彼が ニルヴァーナと呼ぶものなのだ
ニルヴァーナとは 自由を意味する
全き
絶対の
遮られざるもの ーーー

あなたは 広々とした 空(そら)に なる
そこには 何の境目も ない
それは 無限だ
それは ただただ そこに ある
そうしたとき
あなたの まわりには 一面の〈無〉が ある
内も外も ーーー
〈無〉というのは 瞑想状態にある 意識の機能にほかならない

そしてその〈無〉の中に 天恵が ある
その〈無〉それ自身が 天恵なのだ



さあ経文に はいろう ーーー

“ それゆえに,おおシャーリプトラよ,菩薩が知恵の完成に 依って,思考の被覆なしに住するのは,彼の無達成のたまものである。
思考の被覆の不在のもとで,彼は何をも恐れず,心を転倒させるものを克服しており,そして最後には ニルヴァーナ(涅槃)を達成する。”



覚えておきなさい
この “それゆえに” というのは
つねに仏陀が シャーリプトラの〈無〉を のぞき込み続けている という ひとつの指標に ほかならない



(08)終わり・・・(09)へ続く