saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第7話 ーーー 〈無〉に 帰依する (19)

…( だから,ジャン・ポール・サルトルは 普通の心(マインド)については正解だ
「自由は不安を生む」)


彼は言う
「人間は自由の刑に処せられている。
なぜならば,自由は恐怖を生むからだ。
自由は恐ろしい。
私が自由であるのなら,何ひとつとして私自身の行為を正当化してくれるものはないからだ。
私をかばってくれるような何の価値も与えられていはしない。
そうした価値は自分自身でつくり出すほかはない。
私が自分自身と自分の宇宙の意味を決定する。
ただひとりで,正当化することも弁解することもなしに。
私は,ヴェールを脱ぎつつあるひとつの自由であり,あなたはまた別な自由なのだ。
すなわち,私の自由は私の存在の絶えざる露呈であり,あなたの自由もまたしかり。
我々が 一個の独立した存在であるということは,我々のひとりひとりが自分なりの方法でこれをやるという事実によって支えられている。」


だが,サルトルは 自由は不安を生み
自由とは 一種の刑である,呪いであると考えている

そして,キェルケゴールは言う
「人間は絶えざる おののきである」と

それを仏陀
あなた方に この自由の中へ
この〈無〉の中へと はいって行くことを求めている

当然,あなたは そのための用意がなければならない


シャーリプトラは いまや用意ができている

“それゆえに,おおシャーリプトラよ, 菩薩が知恵の完成に依って思考の被覆なしに住するのは,彼の無達成のたまものである。
思考の被覆の不在のもとで,彼は何をも 恐れず,心を転倒させるものを克服しており,そして最後には ニルヴァーナ(涅槃)を 達成する。”


“心を転倒させるものを克服しており・・・”

そして
彼には この〈無〉に はいって行く 何のおののきもないのだ


それは 普通の心(マインド)にとっては ほとんど不可能にすら見える
自分が 消え失せようというときに
どうして おののかずに いられよう ?



(19)終わり・・・(20)へ 続く