saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第11章 : 光、生命、そして愛 (01)


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『絶えず内なる輝きに、内なる光に、内なる無限の果実に統一していること、それが礼拝の前の沐浴だ』

 

 光は 宇宙の中で 最も神秘的なものだ −−− 

多くの理由で。

 

あなたは 感じたことがないかもしれない。

だが、光については まず最初にこう言える。

「光は純粋なエネルギーだ」

物理学 曰く

「あらゆる物質が、実は物質ではない。

エネルギーだけが唯一 真実だ」

物質は 死んでしまった。 物質は もう存在しない。

物質とは、我々の観念の中以外に、決して 存在しない。

唯一、光 −−− エネルギー、電気だけが 存在する。

我々が 物質を 深く突き詰めていけばいくほど

物質は 見つからなくなる。

 

そして、最も深い領域では、物質は 消えてしまう。

物質それ自体が 非物質となる。

が、光は、エネルギーは留まる。

光は 最も 純粋なエネルギーだ。 光は 物質ではない。

我々が 物質の存在を感じるところには、どこであれ

光が凝縮されたものが 存在しているにすぎない。

物質とは、凝縮された光、ということだ。

それが 光についての 最初の神秘だ。

それは全ての 存在の土台となる。

だから、最も古い宗教の概念に、はじめに神が「光あれ」と言えば、そこに光があった というものがある。

 

新しい意味で、それはとても 重大なことだ。

存在は、その純粋さにおいて 光だからだ。

だから 存在の始まりは、光で 始まらねばならない。

もう一つ、光は生命なしで 存在できるが

生命は 光なしでは 存在しない。

生命もまた 二次的だからだ。

物質は 単純に 消え去ってしまう。

 

 

物質というのは 存在しない。

物質は 凝縮された光に他ならない。

光は生命なしで 存在できる。

生命は光の存在に 必要ではないが

生命は 光なしでは存在しない。

生命は 二次的なものであり、光が 根本になる。

これに関して、もう一つ。

光は 生命なしで 存在できるが

生命は 光なしでは 存在しない。

 

それとちょうど同じで、生命は 愛なしで存在できるが、

愛は 生命なくして 存在しない。

そこで、三つの Lを心に 留めておくことだ。

Light (光)、Life (生命)、Love (愛) だ。

光が根本であり、土台だ。そして愛が ピークだ。

生命とは、光が愛に 到達するための、ただの機会だ。

生命は、ただの 通り道にすぎない。

だから もしあなたが、ただ生きているだけだと すると、ただ 通り道の中にいるだけだ。

愛に 到達しない限り、ピークに 到達したことにならない。

 

光は 潜在性であり、愛は その実現だ。

 

(01)終わり…(02)へ 続く