saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第13章「在ることを通して越えていく」(05)

(05)

(…昔は エネルギーとは 物質ではない という意味だった。

もはや物質は 存在しない。

では、 エネルギーとは 何か ? )

 

次のような定義を 聞いたことが あるかもしれない。

「マインドは 物質ではない、物質は マインドではない」

が、もはや物質は 存在しなくなった。

では、マインドの 定義は どうなる ? 

 

物質が なくなれば、突如として マインドも なくなる。

そこには、区分のない ただのエネルギー、同じエネルギーの 現れだけが 存在する。

 

そして、流動性が 物理学の世界に 入ってきた。

もう 今では、Aは 確実に Aではない。

Aの 中に 深く入っていくと、そこにBが 見つかる。

もっと深く 物質の中に 入っていくと、そこには エネルギーが 存在する。

 

そして、多くのこと、たくさんの 不思議が 立ち現れた。

 

我々は「粒子は粒子で あり、決して 波動ではない、波動は波動で あり、決して粒子ではない」と 認識している。

だが、アインシュタインは 新しい事実、奇妙な神秘に 向かい合わねばならなかった。

 

存在の より深い領域においては、粒子が波動のような 振る舞いをする −−− まったく予想不可能な −−− そして、波動が 粒子のように 振る舞う 

それは 難しいことかもしれない。

だから、地理学を通して 理解するのが いいだろう。

 

我々は、点とは、決して 線ではない と 認識している。

どうして 点が 線で あり得る ? 

 

線は 多くの点が 並んでいるものだ。

点は 絶対に 線では あり得ない ! 

線は 並んでいる 多くの 点を 意味する。

だから、一つの点は 線のようには 動けない。

また、線は 点のようには 動けない −−− 

でも それらは そう動く −−− 地理学の上では動かない。

というのも、地理学は 人間が 作ったものだ からだ。

しかし 存在においては、それらは そう動く。

ある時は、 点が線のように 動き、線が 点のように動く。

それでは、どうしたらいい ? 

 

線とは 何か、点とは 何か、どう定義したらいい ? 

 

そうなると、定義は 不可能になる。

点が 線のように動くのだから。

定義が不可能に なると、二つが 二つでなくなる。

 

だから アインシュタインは、むしろ「それを Xと したほうが いい」とし、「線」と言わず、「点」と 言わなかった。

それは理にかなっていないし、意味がない。

だから Xが 存在する、と 言った。

Xは あるときは点のように、またあるときは 線のように振る舞った。

 

そして、この Xというのは、またもや “それ” の ことだ。

Xとは、もはや あなたが 言葉を使わない ということだ。

Xとは “それ” だ。

あなたが言う「点」とは “これ” だ。

「線」とは “これ” を 意味する。

 

あなたが Xと 言えば、未知なるものが、あなたの 奥深くを 貫いた ということだ。

あなたが Xという言葉を 使う時、「それは 一つの神秘であり、数学ではない」ということだ。

そこで、 もし あなたが 奥深く入って行けば “それ” に 行き着くだろう。

 

しかしそれは、アインシュタイン並みの 

稀なるマインドを持って 初めて起こる。

それは 長い旅路だ。

 

何千年に 一人か 二人、“これ” を 通して “それ” に 行き着くことが できる。

 

それは、自分のいる点に至るのに 地球をぐるっと 一周する ということだ。

が、宗教では、道程はない と言う。

旅というものは ない −−− あなたは たった今、ここで それを見つけられる。

あなたは どこへも行かずに “それ” で あることができる。

 “それ” は ここに ある。

 

もしあなたが 内側のセンターを 見逃せば あなたは “これ” の 中にいる。

もしあなたが “これ” を 超越すれば 再び “それ” の中に あるだろう。

 

 “それ” は “これ” を 超えている −−− 

内側にしても 外側にしても。

 

彼方とは “それ” を 意味する。

そして、ある一つの名前を 使わないのは それが 神秘だということだ。

 

形而上学は 数学ではない。

それは 論理ではない、 それは神秘だ。

だから「神秘」とは 一体何か を  理解するのがいいだろう。

 

それは、あなた方の カテゴリー、考える という 通常の カテゴリーが 役に立たない、という意味だ。

もし あなたが 通常のカテゴリーの中で 考えるとすれば、ぐるぐるぐるぐる、堂々巡り してしまう。

決して 目的のポイントには 到達しない。

論理的なカテゴリーは 円環だ。

 

あなたは どんどん進む。 あなたは たくさんの ことをする。

あなたは たくさん歩くが、決して 到達しない。

あなたのセンターは 周辺には ない。

さもなければ あなたは到達しただろう。

 

たとえ 円の周りを ぐるぐる回っていても あなたは 決して 中心に到達しないだろう。

 

 

(05)終わり(06)へ 続く

 

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講話 : OSHO

翻訳 : スワミ・ボーディ・イシュワラ