( 我々は あらゆることを儀式にしてしまう。
すると、その意義は 失われてしまう。
そして、ただ 愚かなる儀式だけが残る )
だから、我々は 寺院へ行く前に 沐浴をする。
が、そこには寺院もなければ 沐浴もない。
寺院は 内側にあり、沐浴も 内側のことなのだ。
その沐浴 −−− ウパニシャッドでは、内なる輝きの中に入る沐浴と 言う。
そして、光は 実際には、神と世界の掛け橋だ。
神は、光を生み出すことによって世界を作り出したが 光が最初の創造だ。
その後、その光が凝縮し、物質ができた。
そして、光は成長した。
私は、光は 成長する と言う。
そして生命が 誕生した。
生命は 成長し、愛が 生まれた。
光、生命、愛 −−− これらが 三つの層だ。
二つ目の層に 留まってはいけない。
根っこへと 戻っていくか、再び 種にまで、花にまで逆上っていくかの、どちらかにしなさい。
光にまで 降りていくか、花にまで 上っていくかしなさい。
(25)終わり…(26)へ 続く