( 常に 家の外にいる状態が いつもの 習慣に なっている。
我々は、自分達が ベランダに 住んでいることを 忘れてしまった )
ベランダに住むのは 楽だ。外へ行くのには 楽だ。
そのために、我々は そこに固定している −−−
それは 楽だ、いつでも 外へ行ける。
我々のマインド、欲望は 外へと動く。
だから、我々は ベランダに住んでいる。
いざ動く瞬間があれば、動く機会が やって来れば すぐに そこから走り出せる。
我々は、自分たちに 家があることを 忘れてしまった。
外を走り回ることは、まさに乞食そのものだ。
そして家の中に入るには、自分の目を 百八十度 くるっと向き直さなければならない ということだ。
そして、自分の目を 新しいやり方で
使わなければならない。
あなたは 闇夜を通らなければならない −−− ただ固定してしまった習慣ゆえに。
キリスト教の神秘家たちは「魂の闇夜」のことを よく語る。
それは「魂の闇夜」だ −−− あなたの目が、余りにも固定しているためだ。
それは「近視眼に なっている人もいるし、遠視に なっている人もいる」と言うのと同じだ。
もし遠くばかりを 見ていれば、近くを見れなくなる。
もし近くばかりを見ていれば、遠くを見られなくなる。
目が 固定してしまうのだ。
目は機械的なものだ。 目は柔軟性を失う。
ちょうど誰かが 近視や遠視になるように
我々は「外視」に なってしまう。
だが、「Insightedness (洞察性)」こそ、我々が発達させなければならないものだ。
あなた方は「Insight (洞察・内視)」という言葉を聞いたことがあるに違いない。
が、「外視」という言葉は 聞いたことがないかもしれない。
あなた方は「洞察・内視」という言葉は知っているが、「外視」という言葉を理解しない限り、「洞察・内視」という言葉を知っていても無意味だ。
我々は 外視になり、それが固定している。
だから、我々は洞察という能力を
発達させなければならない。
だから、時間があるときは いつでも目を閉じ、マインドを外界から閉じ、内側を貫こうとしてごらん。
最初、あなたは 魂の闇夜に入っていくだろう。
そこには、暗闇以外に 何もない。
が、そこで 短気になってはいけない。
待つ、そして 見守る。
すると 段々、暗闇が少なくなっていくだろう。
あなたは、多くの内側の現象に 気づくだろう。
そして、あなたが 内的世界に意識的になったとき、その時 はじめて、光がやって来る源を 意識できるようになる。
そのとき、あなたは その源に入る。
それが、ウパニシャッドが言う「沐浴」だ。
だが、なんと人間のマインドは 愚かなことか !
我々は あらゆることを儀式にしてしまう。
すると、その意義は 失われてしまう。
そして、ただ愚かなる儀式だけが残る。
(24)終わり…(25)へ 続く