saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第11章 : 光、生命、そして愛 (24)

( 常に 家の外にいる状態が いつもの 習慣に なっている。

我々は、自分達が ベランダに 住んでいることを 忘れてしまった )

 

ベランダに住むのは 楽だ。外へ行くのには 楽だ。

そのために、我々は そこに固定している −−− 

それは 楽だ、いつでも 外へ行ける。

我々のマインド、欲望は 外へと動く。

だから、我々は ベランダに住んでいる。

 

いざ動く瞬間があれば、動く機会が やって来れば すぐに そこから走り出せる。

我々は、自分たちに 家があることを 忘れてしまった。

外を走り回ることは、まさに乞食そのものだ。

 

そして家の中に入るには、自分の目を 百八十度 くるっと向き直さなければならない ということだ。

そして、自分の目を 新しいやり方で 

使わなければならない。

 

あなたは 闇夜を通らなければならない −−− ただ固定してしまった習慣ゆえに。

キリスト教の神秘家たちは「魂の闇夜」のことを よく語る。

それは「魂の闇夜」だ −−− あなたの目が、余りにも固定しているためだ。

それは「近視眼に なっている人もいるし、遠視に なっている人もいる」と言うのと同じだ。

もし遠くばかりを 見ていれば、近くを見れなくなる。

もし近くばかりを見ていれば、遠くを見られなくなる。

目が 固定してしまうのだ。

目は機械的なものだ。 目は柔軟性を失う。

ちょうど誰かが 近視や遠視になるように 

我々は「外視」に なってしまう。

だが、「Insightedness (洞察性)」こそ、我々が発達させなければならないものだ。

 

あなた方は「Insight (洞察・内視)」という言葉を聞いたことがあるに違いない。

が、「外視」という言葉は 聞いたことがないかもしれない。

あなた方は「洞察・内視」という言葉は知っているが、「外視」という言葉を理解しない限り、「洞察・内視」という言葉を知っていても無意味だ。

 

我々は 外視になり、それが固定している。

だから、我々は洞察という能力を 

発達させなければならない。

 

だから、時間があるときは いつでも目を閉じ、マインドを外界から閉じ、内側を貫こうとしてごらん。

最初、あなたは 魂の闇夜に入っていくだろう。

そこには、暗闇以外に 何もない。

が、そこで 短気になってはいけない。

待つ、そして 見守る。

すると 段々、暗闇が少なくなっていくだろう。

あなたは、多くの内側の現象に 気づくだろう。

そして、あなたが 内的世界に意識的になったとき、その時 はじめて、光がやって来る源を 意識できるようになる。

そのとき、あなたは その源に入る。

 

それが、ウパニシャッドが言う「沐浴」だ。

 

だが、なんと人間のマインドは 愚かなことか ! 

我々は あらゆることを儀式にしてしまう。

すると、その意義は 失われてしまう。

そして、ただ愚かなる儀式だけが残る。

 

 

(24)終わり…(25)へ 続く