(…神とは、「恩寵の法則」だ。
その法則が 働きはじめるのだ )
一度 あなたが その圏内に入れば、その法則が働きはじめる。
一度 あなたが 自分自身の光になり始めれば、その法則が 働きはじめる −−− すると、あなたは 神に 引かれはじめる。
私は「光が生命の根本だ」と 言う。
その生命に関しては、科学でさえも同意する。
そして、科学は その地点で 終わる。
科学にとって、その向こうはない。
宗教には、その向こうが まだ存在する。
宗教は、光の向こうにさえ、存在がある と言うからだ。
もうひとつ、光は存在している。そして 光には 二つの性質がある −−− 光としての 性質、 そして、存在としての性質。
それでも まだ、光は 究極のものではない。
というのも、光は 二つの性質を持っているからだ −−−
光と存在。
宗教 曰く「存在は 光なしでも あり得るが、光は 存在なしでは あり得ない」と。
そこで もう 一歩、宗教は「神は純粋な存在だ」と 言う。
だから 実際のところ、宗教家たちが「神は存在する」と言う この言葉、この一節は 過ちだ。
なぜなら、「神」と「存在する」という言葉は 同じ意味だからだ。
テーブルが ある、と言うのはいい。
が、神は存在する というのは良くない。
(21)終わり…(22)へ 続く