saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「究極の錬金術」by OSHO,(07) 翻訳 : スワミ.ボーディ.イシュワラ

「無意識との出会い」 (07)

 

無数の方法が 編み出されてきた。

突如として悟りを得る 頓悟の方法があり 

また段階を踏んで悟って行く 漸悟の方法もある。

あなた方には 漸悟の方法について話したことがある。

頓悟の方法もある。

だが頓悟の方法は、常に 大変難しい。

頓悟の方法では、単純に死んでしまうこともあり得る。

頓悟の方法では、あなたは 突然狂ってしまうこともあり得る。

その現象は 余りにも突然で、あなたは 身に収めることができない。

あなたは ただ砕け、木っ端微塵になってしまう。

 

そのことは ギータの中で 起こった。

アルジュナが クリシュナに、彼の 宇宙の形を明かすように強いた。

クリシュナは 他のことを話していたのだが、アルジュナは執拗に クリシュナにせがみ、こう言った。

「私は それを見なければなりません。 見なければ信じられません。 もしあなたが 本当に神なら、 その宇宙の形を 私に見せてください !」と。

そして、クリシュナは その姿を 明かした。

が、それは余りに唐突で、アルジュナの用意は まったく整っていなかった。

それを見たとき、彼は 叫び出し、クリシュナに言った。

「どうか それを閉じてください ! 閉じてください ! 私は死ぬのが恐いのです !」と。

 

そのように、もしあなたが 頓悟の方法で 無意識と出会うなら、それは 危険だ。

頓悟の方法はある

が、それらの方法は グループの中でのみ、実践できる。

グループの中では、他の人々が あなたを助けられる。

実際、アシュラムとは、頓悟の方法のために作られた。

頓悟の道を進む者達は、一人では その方法を 実践できないからだ。

そこで、グループが 必要になってくる。

先達が 必要になる。

絶えず油断のない意識が 必要になる。

というのも、時には 何か月にも渡って 無意識に陥っている、ということがあるからだ。

そういう状況においては、どうしたらいいかを 知っている人が もし誰もいなければ、死が あなたを連れ去っていくかもしれない。

そうしたら あなたは埋葬され、あるいは 荼毘に付されるということが 起こる。

 

ラーマクリシュナは、深いサマーディーに 思いがけず数多く入って行った。

六日間から二週間、彼は まるで無意識のような状態だったので、強制的に スプーンで食事を取らされなければならなかった。

だから 頓悟の方法を実践する者は、グループが 必要だ。

師が 絶対に必要だ。

だが 頓悟の方法は、ブッダや マハヴィーラ、シャンカラチャリアのせいで、インド人の修行から 消えてしまった。

なぜなら彼らは、僧侶は 絶えず旅をしていなければならない、と 言っていたからだ。

彼らは 僧侶達を アシュラムの中にいさせなかった。

どんなところであろうと、同じところに 三日以上 留まることはなかった。

そうする必要が あったのだ。

 

ブッダや マハヴィーラの時代、アシュラムは、ただの 搾取のためのセンター のようになっていたからだ。

それらは ただの、大きなビジネスになっていた。

だから、マハヴィーラも ブッダも、サニヤシンは どこであろうと、同じ所に 三日以上いるべきではないと 強く言うようになった。

そして この三日とは、まさに心理的な限界だ。

ある場所、ある人々に 波長を合わせるためには、三日以上 必要だからだ。

新しい家では、三日以上 経たない限り、あなたは 落ち着きを感じることはできない。

それが、心理的に 波長を合わすための時間だ。

もし三日以上 同じ家にいれば、まるで その家が 自分の家のように思えてくる。

そこで サニヤシンは、どこであろうと、三日以上 その場所にいてはならなかった。

ブッダと マハヴィーラは そう主張した。

が、彼らが そう主張したために アシュラムは破壊され  スクールメソッドが 実践できなくなってしまった。

旅する僧侶は 頓悟の方法を 実践できない。

彼が 村にいるとする。

だが、誰も その方法に関して 知らないかもしれない。

もし彼が 頓悟の方法を実践しているとすれば、ハプニングが起こる。

彼は 危険な状態になるだろう。

死んでしまうかもしれない。

 

だからマハヴィーラや ブッダ、後には、シャンカラチャリアという 三人全員が、僧侶は 放浪し続けるものだと 主張した。

「僧侶は 一つところに留まってはいけない。 僧侶は 家無しの さすらい人でなければならない」と。

それは ある意味では 良かった。

また、ある意味では 悪かったということを示した。

それが いいことだと はっきり示したのは、確立されているものを破壊した ということだが、またそれは、悪かったということも 如実に示すことになった。

というのも、確立されているものとともに、ある非常に重要な実践方法、メソッドが、ただ 忘れ去られてしまうからだ。

 

頓悟の方法では、一つのグループ単位の、絶え間なき 注意深さが 要求される。 師が 必要不可欠だ。

だから、ブッダは 次のように言えたのだ。

「あなたは私がいなくても知ることができる」と。

だが、パタンジャリは そう言えなかった。

クリシュナムルティは「師は必要ない」と 言った。

だが、グルジェフは そう言えない。

彼らの 見解の相違の 本当の理由は、彼らが使っていた 方法にある。

グルジェフは スクールメソッドを使い、クリシュナムルティは さすらい人の伝統に属している。

だから、スクールメソッドも教師も 必要なかった。

 

漸悟の方法なら 一人でも進んで行ける。

というのも 危険がないからだ。

 

 

(07)終わり(08)へ 続く