saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第二章 失うものは何もない 第三の質問

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第三の質問

愛する和尚、
セックスは死と 密接な関係にあります。
では、自然な禁欲とは どういうものなのでしょうか。



セックスは、死よりも 出生の方と密接な関係にある。
出生は セックスに起因する。
出生は 性的な現象だ。
もちろん、セックスは 死とも密接な関係にあるが、付帯的なものだ。
つまり、出生がセックスに起因するなら、死もまた セックスに起因するということだ。
そこで、セックスを超えれば、禁欲を守り ずっとブラフマチャリアでいれば死なない、不死身になる という愚かしい考えが、東洋に生まれた。
馬鹿げている。
なぜなら、死は 未来に起こるのではなく、出生とともに すでに起こっているからだ。
それは 避けられない。
性に溺れることも 禁欲に励むことも可能だが、どちらにしても同じだ。


ムラ・ナスルディンは 満百歳になった。
それで数人の記者が インタビューに来た。

記者たちは どのようにしてそれほど 長生きできたのか尋ねた。
ムラは答えた、
「わしゃ、酒も飲まなかったし、女にも興味がなかった。
それで 長生きしたんだろう」。

ムラが答え終わるか終わらないうちに、隣の部屋で とても大きな物音をたてて何かが倒れた。
その音が気になった記者は、「何が起こったのですか」と尋ねた。
「親父ですよ。
酔っ払って、また女中を追っかけているんだろう」と ムラは答えた。

その老人は 百二十五歳より上に違いない。

ムラは、「この年まで生きたのも 禁欲と禁酒のお陰。
わしゃ、ずっと女を遠ざけてきた」と 言っていた。
だが、ここに、今だ 酒を飲み 女性を追いかけまわしている 彼の父親がいる。

肉体を持った瞬間から、すでに死は 起こっていた。
子宮に入った瞬間から、すでに死は起こっていた。
あなたの時計、生の時計が、時を刻めるのは、わずか 七、八十年 ーー それは 無数のものに依存している。
だが、進めるのはそこまで。
どのような生を送ったとしても違いはない、死は起こる、死は 避けられない。


質問者は尋ねている、「性は死と密接な関係にあります。
では、自然な禁欲とは どういうものなのでしょうか」。

まず、出生と死は ともにセックスに関係しているが、禁欲するだけで 死を超えることはできないということだ。
死はすでに、生まれたときに起こっている。
超える術はない。
実際、すでに死は起こっている。
だから 必ずやって来る。
時間の問題だ。
あなたは 刻一刻と 死に向かって突進している。

ゆえに、死を避けたい というだけで禁欲してはならない。
それもまた死に対する恐れだ。
禁欲しようとする人は 死を恐れている、そして 死を恐れる人は 死を理解し得ないし、不死も理解し得ない。
恐れては ならない。

禁欲というのは 自然なものでしかあり得ない。
「自然な禁欲とは どういうものなのでしょうか」と あなたは尋ねる。
禁欲には 自然なものしかあり得ない。
他には どんな禁欲もない。
自然でなかったら、禁欲ではない。
禁欲を強いたり、性欲を抑えたりはできる。
だが、それでは意味がない。
禁欲的にはなれない
それどころか どんどん性的になるだけだ。
性は存在全体に広がり、無意識の 一部となる。
夢の動機となり、夢をつき動かし、セックスを夢想するようになる。
実際、かつてないほど あなたは性的になる。
一層セックスのことを 考えるようになる。
だから、何度も抑圧しなければならない。
何度も抑圧しなければならなくなるのは、抑圧に完全な 勝利はあり得ないからだ。
力や 暴力で セックスを打ち砕くことはできない。
統制したり 抑制したりしても無駄だ。
統制や抑制を 試みた人々は、非常に好色な世界を 作りあげてきた。
聖人と呼ばれる人は、非常に好色なマインドを 持っている。
彼らの頭に穴を開け 窓を作ることができたら、そこから見えるのはセックス、ポルノグラフィーだけだろう。
そうならざるを 得ない、そうなって当然なのだ。


いかなる禁欲も 強いてはならない。
性を理解し、その中へ深く入っていきなさい。
性には 独自の、途方もない美しさがある。
それは最も深い 生の神秘の 一つ、大いなる神秘だ。
生は そこからやって来る。
性は罪ではない。
罪なのは抑圧だ。
性はとても自然で 当たり前のもの、手に入れようとしなくても 生まれつき備わっているもの、存在の 一部だ。
非難したり、裁いたり、恐れたり闘ったりしてはならない。
より瞑想的に、ひたすら性の中へ入っていくこと。

性の核心が 知り得るよう、沈黙し、深く受け入れること。
オーガズムの只中を過ぎる瞬間、セックスがあなたを ひきつけるものでなくなっていくことに 気づくだろう。

エネルギーは 高みへ昇っていき、愛は深まるが、性的では なくなっていく。
これは 自然に起こる。

愛を深めろ と 言っているのではない。
性の神秘に 深く入っていけば、愛は自ずと 湧き上がってくる。

あなたは愛に満ちてくる。
が、性欲の方は どんどん減少していく。
そして、性の煙が跡形もなくなり、純粋な愛の炎だけが 残るときが来る。
粗雑な性エネルギーが微細な芳香、愛の芳香に 変容する。


そうなったら、愛の中へ深く入っていきなさい。
深く入っていけば、愛の核心にも出会うだろう。
そのとき、祈りが 生まれる。
それは 同時に 起こる。
性は 肉体と、愛は 精神と より深く関わっている。
祈りのときに、突然あなたは 魂と結びつく。
性という 種は、三つの可能性を秘めている。

性が 愛の中に消え、愛が 祈りの中に消えたとき、自然な禁欲が起こる。


禁欲を表す インドの言葉は とても美しい ーー ブラフマチャリア。
文字通り「神のように生きる」という意味だ。

ブラフマチャリアとは、神のように生きること。
エネルギーのすべてが 祈り、慈悲、感謝、祝福となる。

しかし、私は 性が神聖でない と言っているのではない。
それは 種だ。
愛が木で、祈りが開花だ。
祈りは 性エネルギーから生まれる。
だから、性に感謝し、尊重しなくてはならない。
性を 尊重すべきなのは、すべてがそれから 生まれるからだ。
生は それから生まれる、死は それから生まれる。
愛、祈り、神も然り。

性はあなたの全運命を 内に秘めている。
私にとって性は、性に とどまらない。
それは すべてだ。


だから、性に 反対する態度を 取った途端、生の旅は すべて失われる。
あなたは行き場のない、負けるしかない闘いに巻き込まれる。
性エネルギーは 打ち負かせない。
性エネルギーには 神が、愛と祈りが隠れているからだ。
どうして 打ち負かせる ?
あなたは 極めて小さい、だが性エネルギーは 極めて広大だ。
全存在は 性エネルギーに満ちている。

だが、「性」という言葉は 卑しめられてきた。
泥の中から 取り出さねばならない。
性を 清め、その回りに 寺院を建立しなければならない。
覚えておきなさい ーー 禁欲は 自然なものでしかあり得ない。
それ以外のものはない。
禁欲は、統制でも抑制でもない。
それは、あなたのエネルギーと その可能性を途方もなく 理解するということだ。



第三の質問、終わり・・・第四の質問へ 続く