saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第二章 「 解き放たれた愛 」 第三の質問 (04)

(…いまや 彼にできることは ただひとつーーー破壊だ )

彼の 全エネルギーは毒され、破壊的に なっている
彼は 戦争に行く用意が できている
用意どころか、彼はそれを 渇望している
彼は 殺したい、破壊したい

実のところ、彼は 人間を破壊しているあいだ、浸透することの 代償的な喜びを感じる
その浸透は 愛のなかで存在することも できたし、美しいはずのものだった
あなたが愛のなかで 女性の体に浸透する場合、それは別のことだ
それは 精神的なことだ
が、道を誤って 誰かの体を 剣や槍で貫く場合、それは 醜い
それは 暴力的、破壊的だ

しかしあなたは 浸透の代用を求めている

もし社会が 喜びに関して全面的な自由を許されているなら、誰も 破壊的には ならない
美しく愛することのできる人々は けっして破壊的ではない
美しく愛し、生の喜びを感じることのできる人々は、競争的になることもない
問題は そこだ


だから 原始人たちは それほど競争的ではない
彼らは 自分の生活を 楽しんでいる
いったい 誰が もっと大きな家を 持とうと悩むだろう ?

いったい 誰が もっと高額の銀行預金を持とうと悩むだろう ?

何の ために ?

あなた方は 自分の女性や男性がいて 幸せで、生というダンスを楽しんでいる
誰が、年がら年中 あけてもくれても、何時間も 市場に坐りたがるだろう
最後には高額の銀行預金を得て、それから引退して楽しもう と 望みつつーーー ?
その日は ぜったいに来ない
それは 来ることはできない
なぜなら、あなたは 一生 禁欲主義で通すことになるからだ


憶えておきなさい
商売人たちは 禁欲的な人々だ
彼らは すべてを お金に捧げている

一方、愛を知り、愛のスリルや エクスタシーを知った人は 競争的ではない
彼は その日 その日の糧(かて)が 手に入れば幸せだ
それが「我らに日々の糧を与え給え」という イエスの祈りの意味なのだ

それで じゅうぶん過ぎるほどだ
さて、イエスは ばかげてみえる
彼は「もっと高額の銀行預金を与え給え」と 頼むべきだった
日々の糧しか 頼んでいない ?

喜びに満ちた人は けっしてそれ以上は 求めない
その喜びは 人を深く満たすものだ

満たされていない者たちだけが 競争する

それは 彼らが、生は ここには ない、あそこに ある と 思っているからだ
「私はデリーへ行って 大統領にならなければならない」
あるいは ホワイトハウスへ行って あれやこれやに ならなければならない
「私は あそこへ行かなければならない、喜びは そこにある」

なぜなら、彼らは ここには 喜びがない と 思っているからだ
そこで彼らは ずっと動き回っている、動いて、動いて、動いて・・・

彼らはいつも 動き回っているが、けっして到達しない

そして、喜びを 知っている人は、 こ こ に いる
どうして デリーまで 行かなければならない ?
何の ために ?

彼は い ま こ こ で 完全に 幸せだ
彼の 必要は ごく ささやかだ
彼には 欲望はない

たしかに 必要とするものは あるが、欲望は ない
必要は 満たされうるが、欲望は けっしてそうではない
必要は 自然で、欲望は よこしまだ




(04)終わり・・・(05)へ 続く