saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「心理学を超えて」by OSHO (02)

…( 私たちの 条件付けは 自然であることを 私たちに許さない )


私たちの条件付けは、まさに その初めから、
私たちは 自然以上のもので なければならない
ただ 自然でいることは 動物でいることだ
私たちは 超自然で なければならない、と 教えこむ。

それは非常に 論理的に見える。

すべての宗教が これを 教えてきたーーー人間であることは 自然より上に行くことを意味する と。

そして 何世紀にも渡って、人類に 自然より上に行くように と 説き伏せてきた。

誰も 自然より 上に行くことに成功しなかった。
彼らが成功したことは すべて、彼らの自然を、その自発的な美しさを、無垢を 壊すことだった。

人は 自然を超越する必要はない。

私は あなた方に言う。
人は 自然を 満たさなければならない とーーーそれはどんな動物にも できないことだ。
そこが その違いだ。

宗教は 狡猾で、人々を 騙し、欺いてきた。
彼らは、動物たちは 自然だが、あなたは 超自然で なければならない、という区別を 設けた。

どんな動物も 断食はできない。

どんな動物にも 断食は 神聖なものだと 納得させることはできない。
動物は 空腹を知るだけだし、断食と 空腹には 何の違いもない。

どんな動物にも 自然に逆らうことを 納得させることはできない。

これがいわゆる宗教的な人々に 一つの機会を与えたのは、人間には 少なくとも自然と戦う能力があるからだ。

勝利を得ることは けっしてないが、戦うことなら できる。
それでも 戦いの中で 自然を壊すことはない。
彼は 自分自身だけを 壊すだろう。

そのようにして 人は自分自身を 壊してきたーーー彼の すべての喜び、すべての愛、すべての 威厳をーーー

そして 動物よりも 高次の何かになれずに、あらゆる可能な方法で、動物よりも 低次なものになったきた。


おそらく、それについて考えたことがないだろう。
同性愛の 野生動物は いない。
まさに その考えだけで、動物たちの世界全体は 爆笑するだろう。
それは まったく 馬鹿げている !

だが 雌がいない 動物園では、動物たちは 必要に迫られて 同性愛に転向する。

しかし人は 世界を動物園に変えてきた。
無数の人々が、ホモセクシャルレズビアン、ソドミストや 得体の知れないーーーありとあらゆる倒錯者たちでいる。

責任は 誰に あるのだろう ?

あなた方に 自然を超えることを、超自然な神聖さを 獲得することを教えてきた人々だ。

これは 一つの例に すぎない。

その他の あらゆる方法で 彼らは同じことをしてきた。


たとえば インドでは、マハヴィーラが 非暴力という考えに 非常にこだわっていたため、耕作ーーー庭仕事でさえ 彼の信奉者たちに 禁じていた。
なぜなら 耕すのなら 植物を 刈らなければならないからだ・・・

そして植物には 生命があり、それは 暴力になる。



(02)終わり・・・(03)へ 続く