saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第四章「自由への恐れ」(12)


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(12)

( 人間は自由を恐れている。

一方、自由こそが、あなたを 人間にする唯一のものだ。)

 

我々は 自殺的だ・・・自分たちの自由を 破壊している。

そして 自由を打ち壊すことで、我々は 自分たちが 実存となる可能性を、丸ごと破壊している。

 

と なると、所有する ということは都合がいい。

物を持つのは、死んでいるものを集めることだからだ。

あなたは、延々と 集められる。

終わりというものが ない。

死んだものを 集めれば集めるほど、あなたは 安定する。

 

私が「今や、人間は 意識的に進んでいくべきだ」と 言うのは、あなた方が 自分の自由に 気づき、また、自分の 自由への恐怖に 気づく という意味だ。

 

どうやって その自由を 使うのだろうか ? 

 

宗教とは、意識的な進化への 努力、その自由を どうやって利用するか という努力以外の何ものでもない。

あなたの自発的な努力が、今、 重要になる。

非自発的なことは、何であれ 過去の一部だ。

あなたの未来は、あなたの 自発的 行為に かかっている。

 

気づきを、意志を伴った とても単純な行為は、ある成長を あなたに与える・・・たとえ平凡な行為であっても、

 

あなたが 断食をしている とする。

だが それは、食べ物が ないからではない。

食べ物は ある。 あなたは それを食べることができる。

なのに、あなたは 断食を続けている。

あなたは 空腹を感じている。 あなたは 食べることができる。

それが 意志による行為・・・意識的な行為だ。

 

そうしたことは 動物には できない。

動物は、空腹を感じなければ、食べ物を 食べない。

動物は 食料がなければ、断食せざるを得ない。

が、人間だけは、空腹を感じていても、食べ物があっても 断食ができる。

それが 意志的な行為なのだ。

自分の 自由を 使うことができる。

空腹には、あなたに何かを させることはできない。

空腹には、あなたに何かをさせるように 押しつけることは できないし、食べ物が あなたに 何かをするように、引き込むことも できない。

 

もし食べ物が なければ、それは 断食ではない。

もし空腹感がなくて 断食するなら、それは 自然療法だ。

それは断食ではない。

 

空腹感があり、食べ物が ある。

そういう状況なら、あなたは 断食をしている。

その断食は 意志的な行為・・・意識的な 行為だ。

それはあなたに たくさんの意識を 授ける。

あなたは 微妙な自由を 感じるだろう。

食べ物からの 自由、 空腹からの 自由・・・

実際、それは 奥深くで、 肉体からの 自由だ。

また、さらに奥深いところでは、自然からの 自由だ。

 

あなたの自由が 増え、意識が 増える。

あなたの意識が 増えれば、 あなたの自由が 増える。

それらは 相互に 関わっている。

自由に なればなるほど、あなたは より意識的になる。

意識的に なればなるほど、あなたは もっと 自由に なる。

それらは 相互関係だ。

が、我々は 自分を騙している。

 

息子や娘は「父に 反抗することで、自分が もっと自由になれるかもしれないから、反抗している」と 言える。

ヒッピーたちは それをしている。

が、 反抗は自由ではない。

それは まったく 自然だからだ。

ある年代では、親たちへの反抗は自由ではない。

それは まったく自然なことだ ! 

 

母親の子宮から出たばかりの 赤ん坊が「僕は子宮から出てきたよ」とは 言えない。 それは自然だ。

 

ある人間が 性的に成熟した時、それは第二の誕生だ。

その時期が来ると、彼は親たちと 喧嘩するに違いない。

親たちとの 喧嘩によってのみ、親たちから 遠ざかっていけるからだ。

親たちから 遠ざからなければ、新しい家族を 作れない。

だから あらゆる子供が、親たちに 逆らうのだ。

それは 自然だ。

もし子供が 親に逆らわなければ、それは 一つの成長だ・・・なぜなら、親たちに逆らわないとしたら、彼は 自然と戦っていることになる。

たとえば、あなたが結婚するとする。

あなたの母親と あなたの妻が、争うことになる。

それは 自然なことだ。

 

母親にとっては、大変なショックだからだ。

あなたは 別の女性の元へ 行ってしまった。

結婚するまでは、あなたは全面的に、母親だけの ものだった。

母親が 彼女であろうと、問題ではない。

なぜなら 奥深いところでは、誰も 母親ではないし、妻でもない。

奥深いところでは、あらゆる女性が 女性なのだ。

 

そして突然、あなたは 別の女性の元に行ってしまう。

すると、あなたの 母親の中の女性が 苦しみ、嫉妬する。

当然のように、喧嘩が 始まり、いさかいが 起こる。

が、そういう状況でも、まだ母親が あなたを愛することが できれば、それは 一つの成長だ。

もしあなたの母親が、新しい女性の元に行ってしまった あなたを、今まで以上に 愛することができたら、それは 一つの成長だ。

意識的な 成長だ。

彼女は、自然の本能を のり越えたのだ。

 

 

(12)終わり(13)へ 続く