saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「心理学を超えて」by OSHO (03)

…( そして植物には 生命があり、それは 暴力になる )


彼の信奉者たちは、大部分が クシャトリヤ、戦士の家系の出身だった。
彼自身が 戦士の王だった。
今、彼らは 戦うことができなくなった。
それは 戦うことが暴力だからだ。

彼らが農民になれなかったのは、耕すことが暴力だからだ。

彼らが教師になれなかったのは、それがバラモンたちの独占であり、バラモンとは 生まれつきのものだからだ。
あなたがどれほど賢明であっても、バラモンの集団に入ることはできない。
あなたはバラモンの誰よりも賢明かもしれないが、人々の教師になることはできないーーーそれは バラモンの 生得権だ。
だから 彼らはバラモンに受け入れられなかった。
彼らは スードラや 不可触賤民になって、靴を作ったり 道路や トイレの掃除をしたいとは思わなかった。

そうなると、彼らにとって 可能な唯一の道は、実業家になることだった。
他の可能性は すべて閉ざされていた。
だから インドのジャイナ教徒たちは みんな実業家になったのだが、奇妙な現象が 起こった。

彼らの 暴力のすべてが・・・
なぜなら 単に戦士や狩人や農民ではないというだけでは、何の違いにもならないからだ。
同じ人物だ。
彼らの暴力は すべて搾取になった。
彼らは あなたの頭を 切り落とすことはできないが、あなたの血を 吸い取ることはできる。

そして彼らは その国で最も裕福な人々になった。
その単純な理由は、彼らの暴力のすべてが、ただ一つのものに集中されることになった、それは お金だったということだ。

これは発展ではなかった。
これらの人々は より良い人々ではなかった。
マハーヴィーラの 非暴力の教えは、彼らが より良くなるための 助けにはならなかったーーー彼らは より悪くなった !

彼らは 最も貪欲で、最大の 物質主義者で、最も お金に取りつかれた者たちだ。
彼らの 全世界は お金だ。
なぜなら それ以外の道は すべて閉ざされているからだ。

彼らは お金について話し、お金について考え、お金について 夢を見る。
そして お金を貯めるためなら 何でもできる。


何かを強いるときはいつでも、その結果が 改善をもたらすことはない。
彼らは 同情的には ならなかった。

非暴力であるということは、愛情深くあり、同情的であるという意味だ。
彼らは まさにその正反対のものになった。
彼らは 同情的でなく、親切ではなく 愛情深くもない。

その他の多くの領域で、異なるさまざまな宗教が 人間を 自然より上位の何かにしようとしてきた。
その結果は どんな例外もなしに 失敗だった。

あなたは 自然な存在として生まれる。
自分自身より 上に行くことはできない。
それは ちょうど自分の足を引っ張って、地面から自分を 持ち上げようとするようなものだ。
ちょっとは 跳び上がるだろうが、遅かれ早かれ 地面に落ちるだろうし、骨折するかもしれない。
あなたは 飛ぶことはできない。

それこそが 為されてきたことだ。
人々は 自分自身を 自然より上に、つまり自分自身より上に 引き上げようとしてきた。
彼らは 自然から分離していないのだが、その考えは 彼らのエゴに適していた。

あなたは 動物ではないのだから、自然より上に いなければならない。
動物のように ふるまうことはできない。
人々は さらに、動物たちを 動物のように ふるまわせないようにした。
彼らは 動物たちを 自然より少し上に行かせようとしてきた。

ヴィクトリア朝時代の英国では、犬たちは 人々が散歩に連れて行くときに 服を着せられた。
犬たちは 自然な状態でいるのを防ぐために、犬たちが裸でいるのをーーーそれは動物たちに適しているのだがーーー防ぐために コートを着せられた。

このような人たちは、自分たちの犬を 動物よりも少し高く 引き上げようとしているのだ。

ヴィクトリア朝時代の英国では、椅子の脚でさえ 覆われていたと知ると驚くだろうーーー
それらが 脚と呼ばれており、脚は 覆われるべきだという単純な理由だ。
ほぼ 一世紀という長い人生を生きた バートランド・ラッセルは、自分の子供時代には、女性の足を見ることが 性的興奮を得るには充分なものだったと回想している。

ドレスは 足を覆い隠すように 作られていた。
足を見ることはできなかった。



(03)終わり・・・(04)へ 続く