saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

ダイヤモンド-スートラ OSHO 金剛般若経を語る 02



(…ただ それで遊ぶことだ)

そうすれば あなたは驚くだろう
仏陀は、内奥の核に浸透する最大の技法(テクニック)のひとつを世界に与えていたことにーーー


精神分析は それほど深くは行かない
それも このようなものーーー自由連想ーーーに依拠しているが、表面上にとどまっている
なぜなら、他者が 現 に 前 に いることが障害になっているからだ
精神分析医が そこに座っている
たとえ幕の後ろに座っていたとしても、あなたは彼が そこにいることを知っている
誰かがそこにいるのを 知っていること自体がじゃまをする
あなたは ほんとうの鏡にはなれない
なぜなら、他者の 現 前 が あなたが全面的にひらくことを許さないからだ
あなたは、あなた自身に対してしか 全面的にひらくことはできない


仏陀の方法のほうが はるかに深く入ってゆく
なぜなら それは他者に対して語られるものではないからだ
あなたは ただ内側で留意しなければならない
それは 主観的でありながら客観的でもある
その現象は 主観性のなかで起こるが、あなたは客観的なままでいなければならない
ただ 気をつけなさい
それがあなたには 関り合いのないことであるかのように、留意しつづけなさい
それが あなたに 起こっていないかのように
あなたがこういうことをするように 命ぜられたかのようにーーー
「道の この角に立って、何が通過しようと、ただ留意していなさい
女性、 女性、犬、 犬、車、 車……」
あなたは なんの関わりもなく、巻き込まれていない
あなたは まったく超然として、距離を保っている


それは、あなたを 一つのものから もう一つのものへと連れてゆくことができる
そして、あなたが 一連の連鎖の原因そのものにまで達する瞬間がくる

あなたの存在のなかには 多くの鎖がある
何千という糸が お互いにからみ合っている
あなたは混乱してしまっている

あなたは ゆっくりゆっくり 一本づつ糸をたどり、各々の糸の末端に達しなければならない
ひとたび その末端に達すると、その連鎖は あなたの存在から消える
あなたの 重荷は 軽くなる

ゆっくりゆっくり、ある日 それが起こる
すべての糸は 消えている
なぜなら、あなたは それらを引き起こしていた原因を すべて見入ったからだ
それらは 結果だった
ある日、すべての原因が見られるとき
あなたが すべてを観察したとき
ーーーあなたを翻弄しつづけている マインドのゲームのすべて
その策略と狡猾さのすべて、欺瞞と損害のすべてを観察したときーーー
全マインドが、そこに一度もなかったかのように、消える


仏陀がマインドについて、生について、実在について語った 有名な詩文(スートラにがある)
この詩文(スートラ)は 最も輝かしいもののひとつだ
彼は言う


  心(マインド)を このようなものとみなすがよい
  星 眼の瑕 燈火(ランプ) 
  まぼろし 露の玉 水泡(うたかた)
  夢 稲妻のきらめき 雲ーーー

  条件づけられたものを
  このように見るがよい

マインドは 条件づけられた現象だ
それは さまざまな原因の結果だ
直接的に 結果を破壊することはできない
あなたは その原因にまで行かなければならない
枝や葉や群葉を切るだけでは 樹を倒すことはできない
あなたは 根にまで行かなければならない
そして 根は 地下に隠されている


あなたのなかの「根」も そうだ
これらのことは 理解されなければならない
仏陀は、あなたのマインドを 星とみなせ、と言う
なぜか?
星は 暗闇のなかでしか輝かない
朝がきて 太陽が昇るとき、それは消える

あなたのマインドも そうだ
それは無意識のなかでしか存在できない
意識という太陽が昇るとき、それは消える
ちょうど星のようにーーー
星と 闘うのはよしなさい
あなたは それらを破壊することはできない
それらは 何百万とある

もっと意識的になることだ
そうすれば それらは おのずと消えてゆく


眼の瑕ーーー
あなたの眼は 病んでいて、瑕をもっている
そうなったら あなたはそこにないものを見る
たとえば、二重に見ているかもしれないし、斑紋を見ているかもしれない

それはあなたの眼が 本来あるべき姿ではないからだ
もし肝臓がよくなければ、眼は そこにないものを見はじめる
弱い肝臓ーーーそして、眼は空中に さまざまな斑紋を見る
泡、しま柄紋様、斑紋……
それらは 実際にはそこにない
それらは 眼自体によって 引き起こされたものだ

あなたは それらと闘うことはできない、それらを破壊することはできない
なぜならそれらは 実在しないからだ
必要なことは ただ医者の所へ行かなければならない ということだけだ
あなたの眼は 治療を必要としている
あなたの眼は 癒されることを必要としている

仏陀は よく言っていた
「私は 哲学者ではない、医者だ
私は おまえたちに 教義を与えるのではなく、おまえたちを癒すのだ
私は おまえたちに 理論を与えるのではなく、ただ薬を与える
私は 光が何であるかについて語りはしない
ただ、おまえたち自身が それを見ることができるように
おまえたちの眼を開くのを 助けるだけだ」


盲人は光や色や 虹の定義づけによっては助けられない
唯一可能な助けは 彼の眼を回復させるということだ
耳の聴こえない人に 音楽とは何かは 説明できない
耳が聴こえるようになって はじめて彼は知る
体験が 唯一の説明だ


第三に、仏陀は マインドを燈火(ランプ)として考えよ と言う
なぜ ランプとしてなのか?
ランプはその中の 油が続いているあいだだけ燃える
ひとたび油が尽きると、炎は消える
マインドも そうだ
そして「油」は 欲望だ
マインドのなかに 欲望があるうちは、マインドは 生きながらえる
炎を相手に闘わないことだ
欲望が その燃料だ

欲望の意味はこうだ
あるがままのものーーーあなたは それには満足せず、何か ほかのものを求める
あなたは 如性のなかに生きていない
それが欲望の意味するものだ

欲望とは、あなたが 物事を現状とは ちがったものにしたい ということだ
あなたは物事に いまのような在り方であってほしくない
あなたは 自分自身の観念をもっている
あなたは 個人的な夢想を 現実の上に押しつけている

あるがままの現実では満足しないで、自分の胸(ハート)の欲望に従って それを変えたいのだ
そうなったら、マインドは残る
マインドが存在するのは、あなたが 現実に 満足していないからだ


大勢の人々が 私のところへ来て「どうやって思考を止めるのですか」と 訊ねる
彼らは 思考を じかに止めることを望んでいる
それは できない
思考は 欲望が存在するがゆえに存在する
欲望を理解し、欲望を落とさないかぎり、思考を落とすことはできない
というのも 思考は 副産物だからだ


まず、欲望が入ってくる
あなたは 美しい車が通り過ぎてゆくのを見る
すると欲望が湧き上がる

仏陀は「車、 車、 と言いなさい」と言う
それで おしまいだ
自分のなかに 欲望が湧き上がったら、また「欲望、 欲望」と 言いなさい
そして 終わりにしなさい


しかし、あなたは 美しい車を見た
そして夢が、欲望が あなたを乗っ取る
そこで、たくさんの思考が湧き上がる
「どうやったら この車を買う やりくりができるだろう
私の家を売るべきか、銀行へ行くべきか?
合法的あるいは非合法に、もっと金をかせぐべきか?
いったいどうすればいいのだろう?
私は、この車を、ものにしなければならないのだ」

さて、どうやって思考を止められる?


ある政治家が よく私のところへやって来た
彼は思考を 止めたかった
彼は 瞑想をしたかった

私は言った
「まず、あなたの政治を落としなさい
さもなければ 思考を止めることはできない
あなたは実に 野心的だ」


はじめ 彼は風致都市計画の主任だった
彼は 非常に野心的で、大臣代理になった
が、また野心を出して大臣になった
今度は首相になろうとしていたところだ
彼は こう言った
「お言葉ですが、私が来た目的は ただこれだけです
あなたが、私が緊張をほぐし、瞑想するのを手伝ってくれたら
私は もっと闘うことができますし、競争相手に善戦できるでしょう
それなのに政治を落とせですって?
それは 私にはできません」

しかし、欲望を落とさないとしたら
どうやって思考を止めることができよう?

思考は ひとつの助けとしてやってくる
あなたは 首相になりたい
マインドは 長々と お喋りしはじめる
マインドは言う
「さて、事態を、いかにしてそれが管理されるべきかを、よく見なければならない」
さあ、千と一つの問題が 解決されなければならない
そうしてはじめてあなたの欲望は 満たされる
思考することは、欲望が 自らを満たすための手段だ
あなたは 思考を直接 止めることはできない

仏陀は、欲望とは ランプの油のようなものだと言う
もう油が なくなったら、その炎は ひとりでに消える


03へ つづく