saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

OSHO の瞑想テクニック『オレンジ-ブック』瞑想とは 何か ?


「瞑想とは何か ?」

瞑想は無心の状態だ
それは、中身のいっさいない純粋な意識の状態だ
あなたたちの意識は、たいがい、あまりにも がらくたでいっぱいだ
それは、ちょうど鏡がほこりで おおわれているようなものだ
心(マインド)は とだえることのない交通で
思考が動き、欲望が動き、記憶が動き、野望が動いている

それは とぎれることがない交通だ !

明けても、暮れても、眠りについているときまでも
心(マインド)は働いている、それは夢見ている
あいも変わらず考え、あいも変わらず心配事や心労のなかにいる
あしたのために準備し、秘密裏に準備しつづけている

これは 瞑想のない状態だ
瞑想は、これとまるで反対のものだ
往来がとだえ、考えが止み
思考が動かず、欲望がうごめかず
あなたが まったく沈黙しているときーーー

その沈黙こそが瞑想だ
その沈黙のなかでこそ、真実は知られる
けっしてそれ以外ではない

瞑想は無心の状態だ
心(マインド)を通じて 瞑想を見いだすことはできない
なぜなら、心(マインド)は それ自体を永続させるからだ

心(マインド)を 脇におくことによって、はじめて瞑想を見いだすことができる
冷静に、無関心に、心(マインド)と 同化せずにいることによって
それと同化することなく
「自分はそれだ」と思うことなく
心(マインド)のよぎる姿を 見ることによってだ


瞑想は、「私は 心(マインド)ではない」と 気づいていることだ
その覚醒が あなたのなかで深く、 深くなってゆくとき
しだいに、いくつかの瞬間がやってくる
静寂の瞬間
純然たる空(くう)の瞬間
透明な瞬間ーーー

自分のなかに 何も動かず、あらゆるものが静止している瞬間ーーー

そうした静止の瞬間にこそ、あなたは 自分が 誰なのかを知る
そして、この存在の〈神秘〉を知る
ある日、偉大な祝福の日がやってくる
それは、瞑想が あなたの自然な状態になるときだ
心(マインド)は 不自然なものだ
それは、けっして あなたの自然な状態にはならない
だが、瞑想は 自然な状態だ

それを 私たちは失ってしまった
それは 失われた楽園だが、その楽園は回復できるものだ

子供の目をのぞき込んでごらん
見ると、はかりしれない静けさや、無垢に出会うだろう
子供は一人ひとり、瞑想的な状態で生まれてくる
が、彼らは社会のやり方に加入させられなくてはならない
いかに考え、計算し、判断し、議論するか
を、教えられなくてはならない
言葉、言語、概念を、教えられなくてはならない
そうして しだいしだいに、自分自身の無垢との接触を失い
社会によって汚され、汚染されるようになる
その子供は、1個の効率的な機械になり
もはや一人の人ではなくなる

必要なことのすべては、もう一度そのスペースを回復することだ
あなたたちは、かつてそれを知っていた
だから、はじめて瞑想を知るときにはびっくりする
というのも、あたかも以前にそれを知っていたみたいな
大いなる感覚(フィーリング)が あなたのなかに蘇るからだ

そして、その感覚(フィーリング)は真実だ
かつてあなたは知っていた、が、忘れていたのだ
そのダイヤモンドは、ごみくずの山のなかに埋もれている
そのおおいを取り除くことができたら
再び そのダイヤモンドを見いだす
それはあなたのものなのだ、本当に失われることはありえない
忘れ去られているにすぎないものだ
私たちは、瞑想する人として生まれる
それから、心(マインド)の やり方を学ぶ
だが、私たちの 真の本性は
底流のように、深く、 どこか隠れたところに在りつづける
いつの日にでも すこし掘り起こしさえしたら
いまだに 枯れることなく流れつづける源を
新鮮な水の源を見いだす
そして、それを見いだすことこそ、生の この上もなき喜びだ


Pp14ー16