saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

OSHO の瞑想テクニック『オレンジ-ブック』瞑想は 集中ではない


『瞑想は、集中ではない』

集中の状態にあるときには
集中している 自己があり、集中の 対象がある
そこには 二元性がある

瞑想の状態にあるときには
内側に 誰もいない、しかも、外側に 何もない

瞑想は集中ではない、内と外のあいだに分離はない
内は外へと流れつづけ、外は内へと流れつづける
その分界、その境界、その境界線は もはや存在しない
内は外で、外は内だ
それは 非二元的な意識だ

集中は、二元対立する意識だ
だからこそ、集中は疲労を生み出し
集中すると 消耗した感じがする
あなたは 四六時中 集中することはできず
一息いれるために休日をとらなくてはならない
集中は、けっして あなたの 本性にはなりえない


瞑想は疲れさせない、あなたを消耗させはしない
瞑想は、四六時中のものになりうる
くる日もくる日も、くる年もくる年もーーー

それは 永遠になりうる
それは くつろぎそのものだ
集中は行為、意志された行為だ
瞑想は 無意志の状態、無活動の状態だ
それは、くつろぎだ
人は、ただ自分自身の存在のなかに落ちていく
その存在は、全体としての〈存在〉でもある

集中においては、心(マインド)は 結論から機能する
あなたが何かをやっている
集中は過去から生じる
瞑想においては、その背後にどんな結論もない
あなたは とくに何もやってはいない
ただ 単に在る
瞑想は そのためのどんな過去ももたず、過去に汚染されていない
瞑想は、そのためのどんな未来ももっていない
どんな未来にも汚されていない

老子は それを「無為にして為す」といった
無活動を通じての活動だ
それは禅匠たちが 言いつづけてきたことだ

静かに坐り、何もせずにいると、春が来て草はひとりでに生える
憶えておきなさい、「ひとりでに」だ
何も為されてはいない
あなたが草を引っぱり上げていないのに
春が来て、草はひとりでに生える

その状態
そのときあなたは、生に それ自身の道を歩ませている
そのときあなたは、生を 指導するのを望まない
そのときあなたは、生に どんな制御を与えることも望まない
そのときあなたは、操っていない
そのときあなたは、生に どんな規律も強いていないーーー
その純粋な、規律を受けていない 自在な状態こそ 瞑想だ


瞑想は 現在、純粋な現在にある
瞑想は 即時だ
あなたは 瞑想 す る ことはできない、が瞑想に あ る ことならできる
あなたは 集中に あ る ことはできない、が、集中 す る ことならできる
集中は 人間的で、瞑想は〈神性〉だ


Pp17ー18