saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第7話 ーーー 〈無〉に 帰依する (03)

…( 集中というのは ひとつの摩擦だ
あなたは 自分自身の 心(マインド) と 争う )

あなたは 心(マインド)の焦点を ある一定の対象に向けて 合わせようとする
あなたは それを力ずくにする
何度でも何度でも それをもとに戻す
それは 逃げようとする
それは 走り去る
それは 道に迷う
千と一つの いろいろなことを考えはじめる
それをあなたは またもとに戻し
それも強引にやる
あなたは 自己闘争に はまり込む
ある 一定の力が つくり出される

その力は ほかのどんな力と変わらないぐらい 有害なものだ

その力は ほかのどんな力と変わらないぐらい 危険なものだ
その力はまた 誰かを傷つけるのに 使われるに違いない
なぜならば
摩擦から出てくる力というのは 暴力的なものだからだ
何か暴力から出てくるものは 暴力的であらざるを得ない
それは 破壊的であらざるを得ない

平和,非摩擦,非闘争,非操作から 出てくる力は バラの花の力だ
小さなランプの力だ
子供の笑いの力だ
むせび泣く女の力だ
涙の中にあり,朝露の中にある力だ
それはとてつもない
が,重苦しくはない
それは 無限だ
が,暴力的じゃない


集中は あなたを “意識の人” にするだろう
瞑想は あなたを ひとつの〈空〉にするだろう


それが 仏陀がシャーリプトラに 言っていることだ
般若波羅蜜多 (prajna-paramita)” とは
ずばり 瞑想を意味しているのだ
彼方の知恵 ーーー

それを 持って来ることはできない
が,それに対して 開いていることはできる
それを世の中に持ち込むために 何かをする必要なんかない
それは 持って来られるものじゃない
それは あなたを超えている
それが来るためには
あ な た が 消え失せなければならない

瞑想が在るためには
心(マインド)が 消えなければならない

集中というのは 心(マインド) の 努力だ

瞑想というのは ひとつの 無心(ノーマインド)状態を言う

瞑想とは 純粋な 覚醒だ
瞑想とはその中に 何の動機も持たない

瞑想とは種なしに生えてくる樹だ
それが瞑想の 奇跡なのだ



(03)終わり・・・(04)へ 続く