saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第7話 ーーー 〈無〉に 帰依する (02)

…( 瞑想は〈現在〉
純粋な〈現在〉の中にある )

瞑想は 即 時 だ
瞑想 する ことなどできるものじゃない
あなたは 瞑想の中に い ら れ る だけだ

集中の中には いられない
だが,あなたが 集中 す る ことならできる
“集中” は 人間的なもの

“瞑想” は 神々しい


集中というのは
あなたの中にある ひとつの中心(センター)を 軸として 起こる
集中は,あなたの中にある ひとつの自己を中心に 起こるのだ

実際,激しく集中する人間というのは
とても強い自己を 集積しはじめるものだ
彼は どんどんと 力を 持ちはじめる
彼は どんどんと ひとつの〈完成した意志〉に なりはじめる
彼は よりまとまって
より しっかりとした ひと塊(かたまり)に 見えることだろう


瞑想の人 というのは 力を持ちはしない
彼は 静かになる
彼は 平和になる

力 というのは 闘争から生まれるものだ
あらゆる力は 摩擦から出てくる
摩擦から 電気が発する
あなたは 水から電気をつくり出すこともできる
川が山間から 落ちてくるとき
そこには 川と岩との間に 摩擦がある
そして その摩擦が エネルギーを生む
エネルギーが つくりだされる
力が つくりだされるのは つねに摩擦を通じてなのだ


世界が 何度でも何度でも 戦争に突入するのは
世界が あまりにも 力という観念に支配されているためだ
争うことなしに 力を持つことはできない

瞑想は 平和をもたらす
平和には それなりの 力がある
だが,それは ひとつのまったく別な現象だ

摩擦からつくりだされる力は 暴力的だ
攻撃的だ
男性的だ

平和から出てくる力は
ーーー ほかに言葉がないので,私は その言葉を使わざるを得ないのだが ーーー
女性的なものだ
それには 優しさがある
それは 受け身の力だ
それは 受容性だ
それは 開放性だ
それは 摩擦から来るものじゃない
それが暴力的でないのは そのためなのだ


仏陀は 力強い
彼の平和において
彼の静寂において 力強い
彼は バラの花と同じくらいに 力強い
が,彼は 原爆のような力は持っていない
彼は 子供の笑いと同じくらいに 力強い
とても もろく,とても傷つきやすい
が,彼は 刀剣のような力は持っていない
小さな灯明のように力強い
闇夜に 明るく燃える 小さな炎 ーーー

それは まったく異なった次元の力だ
我々が “ 天の力 (divine power) ” と 呼ぶところの力なのだ


それは 摩擦から出てくるものじゃない
集中というのは ひとつの摩擦だ
あなたは 自分自身の 心(マインド) と 争う



(02)終わり・・・(03)へ 続く