saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第五章 「〈光明〉の味 」 (10)

(…幾人かの 人々は 二番目の意味を 選んだ
「かく 去りぬ」ーーー )

それは すでに ここから去った者を意味する
もし仏陀のなかに 深く入って行ったら、あなたは そこに誰も見出さない
彼は その「住居」を 立ち去っている
彼は もう肉体のなかには 存在していない
彼は もう肉体のなかには 現存していない
彼は 空(くう)に なっている
彼は 善逝だ、完全に彼岸に逝っている
彼の 真の〈実在〉は 彼岸にある
此岸では ただ影だけが動いている


しかし 私自身の選択は 両方ともだ

私は タターガタという言葉を こう解釈したい

「 かく来たり、かく去りぬ 」 風の ように・・・

風が来るのは けっして 自分自身の理由、自分自身の動機のためではない
風は完全に〈存在〉のなかに 身をゆだねている
それは〈存在〉が 自分を送るところなら どこへでも行く
それは 必要があるところなら どこへでも行く
それは 自分自身の目的地をもたない
それは こう言わない
「私は 北へだけ行く
私は 南へは 行かない、南には あきあきした」
あるいは、「私は 東方へだけ行く、私はとても 宗教的な風だ」
あるいは、「私は 西方へだけ行く、私は 生を楽しみたい」
いいや、 風は 何も 言わない
必要があるところなら どこへでも 風は行く
「かく来たり、かく去る」・・・

そして その場所から去るとき、それは そこに執着しない
風は、来ては 去って行く



(10)終わり・・・(11)へ 続く