saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第二章 失うものは何もない 第二の質問

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第二の質問

愛する和尚、
時々、あなたは 愛と瞑想のことで私達を混乱させるようです。
愛が まったく不毛であることを強調するときもあれば、瞑想が無用だと言うこともあります。
しかしまた、光明へ到るには、愛も瞑想もともに 不可欠だとも言います。



「時々、あなたは私達を混乱させるようです」と 質問者は言っている。
違う、あなたは 私の言うことを よく聞いていない。
私は常に 混乱させているのだ。
時々ではない。
混乱こそ 私の手法だ。

私は 混乱させて、あなたのマインドから あなたを引き離そうとしている。
愛とか 瞑想とか 神とか、そういった名のもとに、あなたがマインドに しがみつくことを 私は望まない。
マインドは とても狡猾だ。
どんなものにも生い茂ることができる。
瞑想にも、愛にも生い茂る。
あなたのマインドが成長しているところを見れば、すぐに私は、あなたを マインドから引き離さなければならない。私は、あなたが ノーマインドの状態になれるよう全力を注いでいる。

私が ここにいるのは、何か信念を持たせるためではない。
教義を与えるためでも、生きていくうえでの 信条を与えるためでもない。
私がここにいるのは、あなたから あらゆる信条を取り除くためだ。
というのも、そうしてはじめて、生が起こるからだ。
私は 生きていくための、いかなる支えも 与えない。
あなたから、杖や 支えを ことごとく取り上げようとしているのだ。


マインドは とても頭がいい。
もしあなたが「お金に対する執着を落とせ」と 言えば、マインドは
「よろしい。 だが、瞑想に執着しても構わないだろうか」と 言う。
「世を 捨てろ」と マインドに言えば、「よろしい。 ではこれから、霊的体験を手に入れても構わないだろうか」と 言う。
「世を捨てろ」とても言えば、「世の中は捨ててもいいが、これからは神に執着しよう」と。

神という観念ほど、神への大きな障害となるものはない。

神 という言葉は、大きな障害となっている。
神への信仰は、大きな障害となっている。
神のところへ達したければ、神についての あらゆる観念、ヒンドゥー教キリスト教イスラム教を問わず、あらゆる神への信仰を 落とさねばならない。
執着せず、知ろうとせず、絶対的な沈黙を 守らねばならない。
そのように知識や信念に まったく無関心でいるとき、神は自ら その姿を現す ーー まったく無関心でいるときのみ。


私の努力と あなたの努力とは まったく異なっている。
あなたが ここでしていることと、私がここで していることは正反対だ。
私はあなたの中に、深い無知を 創造するために努力している。
だから、あなたを混乱させねばならない。
知識が集まりだしているところを 見るたびに、私はすぐに飛びついて それを破壊する。
私のそばにいれば 学ばざるを得ないのだが、少しずつ あなたは、知識を集めても無駄だ ということを学ぶだろう。
なぜなら、ここにいる男が あなたを無事にしてはおかないからだ。
あなたが何かに 執着すれば、この男が取り去る。

では、何が大事なのだろう。
いつの日か、あなたは 私の言うことを ただ聞いているようになるだろう。
執着もなく、私の話から 信念や哲学や 理論を作ることもなく、ただ 聞いているだけ。
鳥の声を 聞くときのように、松の木を掠(かす)める 風の音を聞くときのように、海に流れ込む 川の音を聞くときのように、海の 波の荒々しい唸りを聞くときのように。
そうなったら、あなたは 哲学を作らない。ただ 聞いているだけとなる。

私を あなたの前で唸る荒々しい海、木々を掠める風、朝にさえずる小鳥にしておいてほしい。
私は 哲学者ではない、知識を 分け与えているのではない。
知識を超えたものを 指し示そうとしているのだ。


だから、あなたが うなずいているところ、「そうだ、これは正しい」と 言っているところ、知識を集めているところを見つけたら すぐに飛びつき、それと反対のことを言って 混乱させねばならない。
混乱させるのが 私の手法だ。
私はいつも そうしている。

そうした理論化を 完全にやめて、マインドを脇に置き、音楽を聴くときのように ひたすら楽しんで 私の話を聞くようにならなければ、あなたを くつろがせはしない。
そういうふうに話が聞けるようになれば、けっして混乱しない。

混乱してしまうのは、最初に あなたが何かに執着していて、次に 私が それを打ち砕くからだ。

あなたは家を作っていた。
だが、そこへ私が行って その家を壊した。
あなたは混乱してしまう。
実際、あなたの混乱は自分で招いたものだ。
家を作ってはいけない。
作らなければ 壊せない。
作れば 私が壊しにいく。
家作りを ーー それはトランプの家だ ーー やめれば、住む家を作らなければ、身構えることなく 私の話を聞き、あなたを混乱させることはできない。

そして、混乱させられなくなったときが、あなたにとって 大いなる喜びのときとなるだろう。
なぜならまさにそのとき、頭ではなく実存で、私を理解できるようになるからだ。

それは 言語の交流ではなく 心の交流だ。
言葉の伝達ではなく、エネルギーの伝達だ。
あなたは私の家に入って来るだろう。


私は、家作りを許さない。
障害となるからだ。
作ればそこに住むようになる、だが私は あなたを私の家に招こうとしている。
エスは弟子たちに言った、「私の神の家には、邸宅が並んでいる」と。
私も言おう、「すばらしい宮殿があなたを待っている。 あなたをそこへ案内する」と。
だが私は、あなたが 道の脇に家を作っているのを目にする。
だから壊さねばならない。
そうしないと、あなたの旅は 台無しになりけっして目的地に到達しないからだ。
あなたは どんなものでも崇拝し始める。
とても せっかちで、私が何を言っても、すぐにそれを掴んでしまう。

私は そうするのを許さない。
だから、油断してはいけない。
あなたが 油断なく覚めていれば、混乱させる必要など少しもない。
実際、油断なく覚めていれば、どうやっても混乱させることはできない。

「和尚、もう私を混乱させることはできません。
あなたが何を言っても、私は それを聞いて 楽しみます。
理論化することなどありません」と 言えるようになったときが、あなたを混乱させられなくなったときだ。

それまでは、何度も 何度も 混乱させるつもりだ。



第二の質問 終わり・・・第三の質問へ 続く
(第三の質問 愛する和尚、 セックスは死と密接な関係にあります。 では、自然な禁欲とは どういうものなのでしょうか)