saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第1話ーーー七段の梯子 (14)

美しい話だ・・・

これが菩薩の境地と呼ばれる
消え去る用意ができていて
にもかかわらず,肉体に,心(マインド) に
世間に,時間と空間に踏みとどまっている者
ほかの人たちを助けるために ーー


仏陀は言う
瞑想は自分の問題を解決するには充分だ
が,そこには何かがかけている,と
慈しみだ
もし瞑想に慈しみがともなっていれば
あなたは ほかの人たちが彼らの問題を解決するのに 手を貸すことができる
彼は言う
瞑想は純金である
それはそれで完結している
しかし,もしそれに慈しみが備わったならば
その黄金には香りも出てくる
そうしたら,それはひとつの より高度の完成である
それはひとつの新しい別な完成である,と
香りを漂わせた黄金 ーー
黄金はそれだけで充分だ
とても値打ちがある
だが,慈しみがともなったら
瞑想は香りを持つ


慈しみはブッダを菩薩に引きとどめる
ぎりぎりの境界線だ
そう,何日かの間,何年か何日か間
人は 踏みとどまり得る
が,それも長いことじゃない
なぜならば,だんだんと
物事がひとりでに消え失せはじめるからだ
肉体に執着していなかったら
あなたは肉体から離れてしまうものだ
ときとして,やって来ることはできる
努力すればね
そうしようと思えば
あなたは 肉体を使うことはできる
だが,あなたはもうそこに腰を据えてはいない
あなたが もはや心(マインド)に いなくなったときには
ときにそれを使うことはできても
それはもう前のように よくは働かない
あなたはもう その中を流れてはいない
それを使っていないときは
それは そこに置いてあるだけだ
それは 一種の機械のようなものだから
そうなると,さびがつきはじめる


ある人が第七番目に達したときには
数日の間,数年の間
彼は ほかの六つの段を使うことができる
バックして,それらを使うことはできる
けれども,だんだんと
それも うまくいかなくなる
だんだんと,それらの段は 息を引き取りはじめる

菩薩は,長くて 一回の生の間しか こ こ に いられない
その後は 消え去らざるを得ないのだ
なぜならば,メカニズムが消えてしまうから ーー


しかし,成就した人たちは皆
できる限りの努力だけはしてきている
肉体と心(マインド) とを使って,肉体と心(マインド) にいる人たちを助けよう
肉体と心(マインド) の言語しかわからない人たちに手を貸そう
弟子たちに手を貸そうと ーー


“ 聖なる観自在菩薩が彼方に至る知恵を究めつつあったとき,彼が高みから見おろすと,目にはいるのは五つのあつまりばかりであり,それらも実体は空であることを看破した。”


その地点から見ると・・・・・・



(15)へ続く