saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第1話ーーー七段の梯子 (13)

“ 聖なる 観 自 在 (アヴァローキテーシュヴァラ) 菩薩が彼方に至る知恵を究めつつあったとき ”


経文は言う
この彼方の境地は静的なものではない
それはひとつの運動なのだ
それは川のようなひとつのプロセスなのだ,と

それは名詞じゃない
それは動詞なのだ
それは展開し続けてゆく
ヒンドゥー教徒たちが
それを 一千枚の花びらを持ったハスと呼ぶのはそのためだ
「 一千 」というのは つまり無限ということにほかならない
それは無限の象徴なのだ
花びらの上にまた花びら ーー
花びらにつぐ花びらが,果てしなく開き続けてゆく
その旅は はじまったが最後,けっして終わらない
それは 永遠の巡礼なのだ


“ 聖なる 観 自 在 (アヴァローキテーシュヴァラ) 菩薩が彼方に至る知恵を究めつつあったとき ”

彼は,川の流れのように彼方の世界へと流れ込んでいた
彼は「聖なる菩薩」と呼ばれている
ここでもまた,サンスクリット原語が思い起こされなければならない

「聖なる」と訳されているサンスクリット語は “イーシュヴァラ (isvara)”だ
“ イーシュヴァラ ” とは
自分自身の豊かさによって絶対的なまでに豊かになった者
その富が 彼自身の本性そのものであるような者を言う
誰ひとりそれを奪い去ることはできないし
誰ひとりそれを盗むこともできない
それはなくなり得ないのだ

あなたが持っているような富の一切は失われ得る,盗まれ得る
いや,必ずなくなる
ある日,死がやって来て 何もかも奪い去ってゆくだろう
しかし,誰かが
その人自身の 実存そのものである内なるダイヤモンドに行き着いたときには
死にも それを奪い去ることはできない
死など問題じゃない
それは盗まれ得ない
それはなくなり得ない
そうしたとき,人は “イーシュヴァラ” になる
そうしたとき,人は “聖なる者” になる
そうしたとき,人は “バガヴァン” になる


“ バガヴァン (bhagavan) ” という言葉は
ずばり “祝福された者” という意味を持っている
つまり,そのとき人は祝福された者になるのだ
いまや,彼の祝福は 永久に彼のものだ
それは 何ものにも依存しない
それは独立している
それは何かによって引き起こされたものでもない
よって,それは奪い去られることもあり得ない
それは原因を持たない
それは その人の内在本性なのだ


そして,彼は “ 菩薩 (bodhisattva) ” と呼ばれている
菩薩というのは仏教の実に美しい概念だ
菩薩とは,ブッダにはなったけれども
なおかつ時間と空間の世界に自分自身を引きとどめている者を意味する
ほかの人たちを助けるために ーー

菩薩(bodhisattva)とは “本性的にブッダである” という意味だ
もういつでも こぼれて消える用意のできている者
涅槃(ニルバーナ)にはいる用意のできている者 ーー
何ひとつ解決すべきことなど残っていない
彼の問題はすべて解けている
彼にとって こ こ にいる必要は何もない
が,それでも彼はここにいる
こ こ で学ぶべきことなどもう何もない
が,それでも彼はここにいる
そして彼は自分を肉体の形に
心(マインド) の形に保っている
彼は 梯子全部を保っている
彼は彼方に達している
それなのに,彼は 梯子全部を保っているのだ
慈しみから,人々に手を貸すために ーー


こういう話がある
仏陀が 究極の,涅槃(ニルバーナ)の戸口に達した
扉は開いていて
彼を迎えようと天使たちが歌を歌い,舞を舞っていた
というのも,人間が ひとりのブッダになるなどというのは
何百万年待っても,めったに起こることではないからだ
その扉が開いたのだから
その日は当然 大祝日になった
あらゆる いにしえのブッダたちが全員集まって来た
そして,大変な祝賀が催され
花が降り注ぎ,音楽が奏でられ
何もかも飾り立てられた
それはお祝いの日だった


ところが,仏陀は戸口をまたごうとしない
いにしえのブッダたちは皆手を合わせて
仏陀に 中に入るように頼んだ,懇願した
「なぜ そんな外に立っているのですか ? 」ーー

すると,仏陀はこう言ったと伝えられている
「 私のうしろから来ている者たち全部がはいらない限り
私はここをまたぎますまい
私は身を外に置いて置きましょう
いったん中にはいったら,私は消えてしまうのですから
そうしたら,私は何ひとつこの人たちの 助けにはなれません
何百万という人々が闇の中を手探りでよろめいています
私自身も幾生涯にわたって同じように手探りしてきました
私は彼らに手を差しのべてあげたいのです
どうか扉をお閉めください
全員が到着したら,私みずからノックいたしましょう
そうしたら,中に入れてください 」


美しい話だ −−−−−−


これが 菩薩の境地と呼ばれる



(14へ続く)