saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第1話ーーー七段の梯子 (15)

“ 聖なる観自在菩薩が彼方に至る知恵を究めつつあったとき,彼が高みから見おろすと,目にはいるのは五つのあつまりばかりであり,それらも実体は空であることを看破した。”


その地点から見ると・・・・・・
たとえば,ついさっき私は
私は あなたの中のブッダにごあいさつすると言った
それは,彼方からのひとつのヴィジョンだ
私はあなた方を潜在的ブッダたちと見る
そして,もうひとつ別なヴィジョンでは
私は あなた方を空っぽの抜け殻と見る


あなたが自分だと思っているものなど空しい抜け殻にすぎない
ある人は 自分を男だと思う
それは空しい観念だ
〈意識〉は男性でも女性でもない
ある人は 自分が美しい体を持っていると思う
自分はきれいだ,強い,こうだ ああだ ーー
それは空しい観念だ
ただ自我(エゴ) があなたを騙しているにすぎない
ある人は 自分が多くを知っていると思う
そんなものは まるで無意味だ
彼のメカニズムが記憶を集めただけのことで
彼は その記憶に騙されているのだ
こういうものはみな空しい

だから,超越の場所から見たときには
一方で私は あなた方をブッダたちと見る
そして,もう一方では
私はあなた方を ただの抜け殻と見る


仏陀は,人間は五つの要素からできていると言っている
すべて空っぽである “五つのスカンダ(panca skandha 五蘊(ごうん) )” だ
そして,その五つの組み合わせによって
自我(エゴ) と呼ばれる副産物が現われる
自己 ーー
それはちょうど時計の仕掛けのようなものだ
それは チクタク,チクタク 言い続ける
その音は ちゃんと聞こえてくる
あなたはその時計を開いて見ることもできる
どこからその チクタク音が来るのか 見つけようと
全部の部品を バラバラにすることもできる
それはどこにあるか ? ーー
どこにも見つかるまい
それは ひとつの副産物だ
それはいくつかのものの組み合わせにすぎない
いくつかのものが一緒に動いて その音を出していたのだ

それが あなた方の “ 自分 ”だ

五つの要素が一緒に動いて,“自分” というチクタク音を出す
だが,それは空っぽだ
その中には何もない
その中に いくら実体のあるものを探し出そうとしてみても
何も見つかりはしないだろう


生は空しい
わ れ わ れ の 知 っ て い る 生 は空しいという このことは
仏陀の最も深い直観,洞察のひとつだ
一方,生はまた満ち満ちてもいる
が,われわれは そっちのことは何ひとつ知らない
この空虚さから
あなたは その〈充溢〉へと歩を進めなければならない
しかし,その充溢は いま現在のところ思いも及ばない
というのも,その充溢は
われわれの こ の 状態から見たら空っぽにしか見えないからだ
ところが, そ の 状態から見たらあなた方の充溢こそ空しいものだ
王様が 乞食に見え
知識人,博識な 人間が愚かに,無知に見える




(16)へ続く