saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第16章「意志か、 明け渡しか」最初の質問(07)


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最初の質問(07/終回)

 

老子は言う

「私は 全一であることができることを 善と言い、全一であることができないことを 悪と言う」と。

部分的で あることは罪だ。

もしあなたが そういう見方をすれば、マインドは 罪になる −−− マインドには 部分的である才能がある。

 

目撃することは 全一だ。

が、 我々の 生においては、何ひとつ 全一であるものはない −−− 何ひとつとして。

我々は 全てにおいて 部分的だ。

だから、至福や、エクスタシーが 感じられないのだ −−− なぜなら、何かに全一であって初めて、至福の瞬間を 感じるからだ。

それ以外では 決してない。

至福とは、何かに全一であることだ。

我々は 何事においても 決して全一ではない。

我々の 一部分だけが 没頭していて 

あとの部分は 外にある という状態だ。

それが 緊張を作り出す。

一部分が どこかにあり、別の部分が どこか他のところにある。

だから 我々が何をしようと、たとえ 愛していようとも、それは 一種の 緊張であり、一種の 苦悩だ。

 

心理学者たちは 言う、「もしあなたが 愛し合っている人達を 深く見入れば、愛は ちょうど病気のように見える」

たとえ愛であっても、喜びに満ちたものではない。

それは 苦悩であり、たいそうな重荷だ。

だから、人は 愛でさえも退屈し、うんざりしてしまう −−− なぜなら、マインドは 至福の中にないからだ。

それは 苦悩だ。

どんなことであろうと 我々が 部分的であれば必ず 緊張が、苦悩が ある。

なぜか ? 

 

マインドは 一つでは ないからだ。

マインドは、多くのものを意味している。

マインドは 一種の集合体だ、統一体ではない。

 

あなたの 本性は 統一体だ。

 

あなたのマインドは 集合体だ。

それは統合体ではまったくない。

道すがら集められたものだ。

だから 多くの人間が あなたのマインドに 影響を与えている。

膨大なる影響がマインドを構成している。

あなたのマインドに 印象づけないで 何一つ通過することはない。

あなたを通過する あらゆる物事が あなたに それ自身を印象づけている。

 

あなたの友達は あなたに印象を 与える、敵も また然りだ。

あなたの興味を引くものは、あなたに 印象を与える。

忌み嫌うものも、また然りだ。

あなたが好きなものは あなたに印象を与え 好きでないものも、また然りだ。

あなたは 多元的なあり方で 印象を集め続けている。

だから、 マインドは まるで 廃品置き場だ。

それには 統一性がない。

雑多なもので、統合体ではない。

マインドは 決して 全一であり得ない。

どうしてマインドに 全一であることができる ? 

 

それは 実に多くの矛盾、自己矛盾の扉を開く群衆だ。

古い心理学は、マインドは ひとつだと 信じていた。

が、 新しい心理学は「その概念は偽りの概念だ。 マインドには 一種の多元性があり、一つではない」と 言う。

 

あなたは ひとつのマインドを 持っているわけではない。

我々は ひとつのマインドに ついて語り続けるが それは 言葉上の慣習にすぎない。

我々は「私のマインド」という 言い方をし続けているが、それは 過ちだ。

実際、 間違っている。

それは「私のマインドたち」と 言ったほうがいい。

 

マハヴィーラは 二千年前、その事実に 突き当たった。

彼は 次のように語った と 言われている。

「人間は統一された精神ではなく、多重精神だ −−− 多くのマインド達だ」

だからあなたは、マインドに関して 全一であることができない。

 

マインドの多数部分が あなたの意志に沿うか 少数部分が あなたの意志に沿うか の どちらかだ。

どんな決定であれ、マインドが 決定したものは 部分的なものになる。

それ以外は あり得ない。

せいぜい、マインドの多数部分の決定を望めるだけだ。

そこで、二つ目のことが 入ってくる。

マインドは 固定した群衆ではない ということだ。

マインドは 変化する群衆だ。

それは 固定した群衆ではない ! 

瞬間ごとに 何かが 加わり、何かが 失われる。

瞬間ごとに、あなたは 新しいマインドを 持つ。

 

ブッダが ある町を 通り過ぎようとしていた。

すると誰かが ブッダの所へやって来て こう言った。

「私は人類を救いたいのです。

どうやって救えるか 私に その道を教えてください !」と。

すると、ブッダは 目を閉じ、そのまま黙っていた。

その男は 困惑してしまった。

そして、再び彼は ブッダに聞いた。

「私は 人類を救いたいと言っているのです。

なぜあなたは黙っているのですか ?  何か間違っていますか ? 」

すると、ブッダは目を開いて こう言った。

「あなたは 人類を救いたいと言う。

だが、あなたという 人間は どこにいるんだね ?  

まず、在りなさい !  あなたなど いない ! 

あなたは群衆だ。 この瞬間、あなたは人類を救いたいと思い、次の瞬間には 人類を殺したいと 思う。

まず 在りなさい ! 

自分がいないとすれば、何もできないだろう。だから “する” ことを 考えるのではない −−− まずは “ 自分の在ること ” について熟慮しなさい」

 

「在ること」は、目撃を通して 初めて起こる。

決して 考えることを通してではない。

目撃することは 全一だ。

というのも、あなたの本性は ひとつだからだ。

あなたは ひとつとして 生まれた。

そのあとに、多くのマインドを かき集め、かき集められたマインドを 自分だと感じ始めるようになり −−− それらのマインドと 自己同化してしまった。

その自己同化が 壊されるべきだ。

 

 

 

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