saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第16章「二番目の質問」(01)


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二番目の質問 (01)

 質問・・・・・・

 OSHO、昨夜、あなたは 一つの方法としての、目撃することについて話されました。

別の時に、私は あなたが、自分が関わっているものに完全になること、与えられた状況がどんなものだろうと全面的に関わる、と 話されているのを聞きました。

 たいていの場合、私はそれら二つのどちらに従えばいいのかわからないのです。

その状況から退いて、距離を置くやり方で見ているか、あるいは全面的にそのものになってしまうか −−− たとえば、怒りの感情が、愛が、悲しみがある時に。

 それらは正反対の道ではないのですか ? 

それらは両方異なる状況のために、また異なるタイプの人々のためにあるのではないですか ? 

 人はどういう時に、どちらの方法を実践すればいいのでしょうか ? 

 

 

それらは二つの 根本的な道だ −−− たった 二つしかない。

一つは 明け渡しのものであり、もう一つは 意志のものだ。

明け渡しの道と 意志の道だ。

 

実践していくことに関しては、それらは正反対の道だ。

だが、それらは 同じゴールにたどり着く。

同じ 悟りにたどり着く。

そこで、我々は その詳細について もう少し 理解しなければならない。

意志の道は、あなたの 目撃する自己(セルフ)と ともに始まる。

それは あなたのエゴとは 直接関わりない −−− 間接的にだけ 関わっている。

 

目撃から 始めること、自分の行為に対して 意識的であることは、あなたの 内なる自己の目覚めに 直接関わる。

もし 内なる自己が 目覚めれば、必然的にエゴは 消え去る。

あなたは エゴに直接何かを したわけではない。

それらは 両方同時に存在できない。

もし あなたの自己が 目覚めれば、エゴは消え去る。

 

意志の道では、内なる中心を 直接目覚めさせようとする。

多くの多くの方法が そのために 使われる。

どうやって 自己を 目覚めさせるか ? 

そのことについて、これから 話そう。

 

明け渡しの道 では、自己でなく 直接エゴに関わる。

エゴが消えれば、内なる自己は 自動的に目覚める。

明け渡しの道では、じかに、直接にエゴに関わる。

あなたは 内なる自己を目覚めさせる ために 

何かをする 必要は ない。

あなたは ただ、エゴを明け渡せばいい。

エゴが 明け渡されれば、あなたは 目覚めた内なる自己と ともに留まる。

 

無論、それら両方の道は 反対方向に働きかける。

一つは、エゴに関わり、もう一つは 自己に関わるからだ。

それらの方法、それらの技法は 反対だ −−− 誰も両方の道に ついていくことはできない。

また その必要もないし、不可能だ。

それは、すべての人が選択することだ。

もし 意志の道を選べば、あなたは 自分一人になって 

自分自身に 働きかけねばならない。

それは 骨が折れる。

人は奮闘し、闘わなければならない −−− 

 

精神的な眠りを 作り出している古い習慣と 闘うことだ。

そして、唯一の望みは 深い内側での目覚めだけになる。

意志の道に従う者は、たった ひとつだけ罪を知っている。

その罪とは、精神的な眠気だ。

 

それに対しては、たくさんの技法がある。

 

 

(01)終わり(02)へ 続く