(10)
(あなたの 外にいる師は、あなたの内側の師を 目覚めさせるための 一つの助けでしかない。
実際、師に 明け渡すことが、自己に明け渡す ということだ)
ちょうど次のようなものだ。
あなたが 鏡の前にやって来る。
そして、初めて 自分の顔に気づく −−− 鏡を 通して。
それと同じように、師は ただの鏡だ。
もしあなたが 明け渡せば、自分自身の自己に 目覚める。
それが 一つのやり方だ。
もう一つのやり方は、自分自身の 意志を見い出すこと。
どちらが 自分の道かを 決めることだ。
私が知る限り、延々と ただ考え続ける人達が 大勢いる。
時々、彼らは 明け渡しの道 のことを思い、時々、意志の道 の ことを考える −−− この道が自分の道なのか と −−− 。
明け渡しについて 彼らに話すと
彼らは いつも 意志の道のことを考える。
意志の道のことを 話せば、彼らは 明け渡しのことを考える。
それが エゴの 断片のあり方だ。
もし私が「明け渡しなさい」と 言えば、あなたは「どうやって明け渡すのですか ? 私の個性、私の自由は どうなるのですか ?」と 思うだろう。
だがあなたは 実際、誰でもない −−− 個性なし、自由なしだ。
が、 自分が 持っていなくても 失うことを恐れる。
「どうやって 明け渡すのですか ?」
そして もし私が「じゃあ、明け渡さないでいい !
意志を 作り出しなさい !」と 言うと、「私は とても弱い人間です。 その私が どうやって意志を作り出せますか ?
とても難しいです」と言う。
これらの 両方の教えには
あなたのエゴと 一対をなすものがある。
そうすると、あなたは 揺らぎ続ける。
その 揺らぎは 自分の中心に至るのに 決して 助けにはならないだろう。
この道か その道か、どちらかに 決めることだ。
そして 決めたら、従いなさい −−−
そうしたら、徹底的に、 トータルに 従うことだ。
その全面性が、最後には エゴの偽の構築を 壊すことに役立つ。
そして、偽の中心が もはや ない時
真の中心を 知るに至るだろう。
そこには ギャップがある −−− 混沌状態の ギャップが。
人は それに直面しなければならない。
それは 苦しみだ。
しかし、それは 生みの苦しみだ。
人は それを 通過しなければならない。 それは 必要だ。
だが、あなたが真の中心に 至ったとき、自分は それに値するほどのものを 何も払っていないのだ と知る。
その 生みの苦しみを通過して 得るものは
計り知れないほどだ。
それに比べれば、あなたがしてきたことは 何であれ、まったく取るに足らない。
だが それを手に入れる以前には あなたの努力は とても価値がある。
(10)終わり(11)へ 続く