saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第14章「事実との直面」最初の質問 (10)


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(10)

(あなたの 外にいる師は、あなたの内側の師を 目覚めさせるための 一つの助けでしかない。

実際、師に 明け渡すことが、自己に明け渡す ということだ)

 

ちょうど次のようなものだ。

あなたが 鏡の前にやって来る。

そして、初めて 自分の顔に気づく −−− 鏡を 通して。

それと同じように、師は ただの鏡だ。

もしあなたが 明け渡せば、自分自身の自己に 目覚める。

それが 一つのやり方だ。

 

もう一つのやり方は、自分自身の 意志を見い出すこと。

どちらが 自分の道かを 決めることだ。

 

私が知る限り、延々と ただ考え続ける人達が 大勢いる。

時々、彼らは 明け渡しの道 のことを思い、時々、意志の道 の ことを考える −−− この道が自分の道なのか と −−− 。

明け渡しについて 彼らに話すと 

彼らは いつも 意志の道のことを考える。

意志の道のことを 話せば、彼らは 明け渡しのことを考える。

それが エゴの 断片のあり方だ。

もし私が「明け渡しなさい」と 言えば、あなたは「どうやって明け渡すのですか ? 私の個性、私の自由は どうなるのですか ?」と 思うだろう。

だがあなたは 実際、誰でもない −−− 個性なし、自由なしだ。

が、 自分が 持っていなくても 失うことを恐れる。

「どうやって 明け渡すのですか ?」

 

そして もし私が「じゃあ、明け渡さないでいい !

意志を 作り出しなさい !」と 言うと、「私は とても弱い人間です。 その私が どうやって意志を作り出せますか ?

とても難しいです」と言う。

 

これらの 両方の教えには 

あなたのエゴと 一対をなすものがある。

そうすると、あなたは 揺らぎ続ける。

その 揺らぎは 自分の中心に至るのに 決して 助けにはならないだろう。

 

この道か その道か、どちらかに 決めることだ。

そして 決めたら、従いなさい −−− 

そうしたら、徹底的に、 トータルに 従うことだ。

その全面性が、最後には エゴの偽の構築を 壊すことに役立つ。

そして、偽の中心が もはや ない時 

真の中心を 知るに至るだろう。

そこには ギャップがある −−− 混沌状態の ギャップが。

人は それに直面しなければならない。

それは 苦しみだ。

しかし、それは 生みの苦しみだ。

人は それを 通過しなければならない。 それは 必要だ。

だが、あなたが真の中心に 至ったとき、自分は それに値するほどのものを 何も払っていないのだ と知る。

その 生みの苦しみを通過して 得るものは 

計り知れないほどだ。

 

それに比べれば、あなたがしてきたことは 何であれ、まったく取るに足らない。

だが それを手に入れる以前には あなたの努力は とても価値がある。

 

 

 

(10)終わり(11)へ 続く