saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第14章「事実との直面」最初の質問 (11)


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(11)

 そして最後に、あなたは 自分が統一状態なのか、結晶化されているのかと 混乱し、考え続けることがあるだろう。

だがそれは、結晶化されたエゴが あなたに あるからだ。

 

それでは、どこが 違うのか ? 

エゴに統一しているか、自己に統一しているか、どうやって 見極められる ? 

 

それには、三つのことを 心に 留めておかねばならない。

一つ、もしあなたが エゴの中にあるのなら 

決して 静寂の中には、 いられない −−− 絶対に。

その時、あなたは 群衆の中に、市場の中にいる。

あなたのエゴは 経済界の産物だ。

あなたは 決して、静寂の中には いられない。

 

第二に、あなたは ほんの わずかな幸せでさえ 決して見い出せない。

決して 見い出せない。

幸せは、真の中心で のみ、あり得るからだ。

静寂は、真の中心で のみ、あり得る。

それは真の中心の 質だ。

それを 手にするには、何の努力も 必要ない。

それは ただ、 そこにある。

だから、もしあなたが エゴの中にあると すれば 

あなたの 幸せは、いつも 未来の中にある −−− 決して 手に入らない 未来の中に。

常に 手に入れるべきものとして。

 

そして 三番目。

あなたが エゴの中にある時、あなたの 生の動機は 恐怖に彩られている。

あなたが 何をしようと 

あなたの動機は 恐怖に彩られている。

あなたは 恐怖に彩られてしまう。

 

もしあなたが 愛するとすれば、それは 恐怖ゆえだ。

もし 祈るとすれば、 恐怖ゆえだ。

もし神を 思うとすれば、恐怖ゆえだ。

もしあなたが 富を貯えるとすれば、恐怖ゆえだ。

もしあなたが友達を −−− 何を しようと 

あなたの 根本的な動機は 恐怖に彩られている。

 

それら 三つのことが ある。

あなたに静寂が あり得ないのは、葛藤している 緊張の一群があり、不安や苦悩、緊張や戦いが あっても、静寂、 幸せが ないからだ −−− 幸せとは 中心に属しており、エゴのものではないからだ。

恐怖に方向付けられた 流れがあるのは、エゴが 絶えず 死を 恐れているからだ −−− 

 

エゴは ただの構築物だ。

それは 本物ではない。

だから、エゴは 死を 恐れている。

そして、自己は 決して死を恐れない。

自己は 一度も 死を知らない。

死は 中心にとっては、真の中心にとっては 不可能だ。

 

不死であることが 中心の本性であり

まさに 中心の質そのものだ。

だから、これら三つのことを 覚えておきなさい。

 

 

(11)終わり(12)へ 続く