saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第5話 ーーー 〈無〉の香り (08)

…( 危険な目に合うと,あなたは 神を思い出す

自分が ハッピーで,何から何までスムーズに いっているときには
あなたは 神のことなど 忘れてしまう
あなたの神は あなたの恐怖の投影以外の何ものでもない )


仏陀は言う
恐怖からは 何ひとつ知性の可能性は出てこない,と
そして
恐怖というのは ごく根本的な理由で そこにあるのだ
あなたが 自分がいる と思うから ! ーーー
そこに恐怖があるのは そのためなのだ
自我(エゴ) というものは ひとつの影として恐怖を携えている
自我(エゴ)そのものは 架空のものだ
だが その幻覚は あなたの人生に大きな影を投げかける

あなたが「自分は いる」と 考えるために
それがゆえに そこに恐怖がある
「たぶん,もし何か 間違ったことをやったら
自分は 地獄に放り込まれてしまうに 違いない
そしたら,自分は いやというほど 苦しむだろう」

もしあなたが「自分は いる」と 思ったら
そのときには自然,あなたは 来世のために,あの世のために 何か貯えをしておくこと
何か いいことを やる
少々の プンニャ( punya 徳 )を積むことを 考える


知っているかな ?
この街の名前 プーナは プンニャ(徳) から来ているのだよ


ちょっぴり徳を積む
あなたの口座に
あなたの銀行預金に 何かを積み立てる
あなたが神さまに 見せびらかせるようにーーー
「見てください
私は 本当に いい子でした
私は こういう いろいろなことを やりました
こんなに何日も 断食をし
一度も よその女に 色目を使ったこともなく
泥棒を したこともなく
こっちの寺や あっちの教会に こんなにたくさんの寄付をしました
私は いつも自分にふさわしい行いを してきました」

人は 徳を積みはじめる
ん?
それが あの世で必要になったとき 困らなくて済むようにーーー


しかし,これは恐怖から出たものだ

あなた方の いわゆる善人も,あなた方の いわゆる悪人も
みな恐怖から 生きているにすぎない

知性的な人間というのは 恐怖を持たずに生きる
だが,恐怖を持たずに生きるには
あなたは 自分の自我(エゴ)という事実を 見抜くに至らなければなるまい
もしそこに 何の自我(エゴ) も なかったら
もし“自分” が いなかったら
そのとき,どこに恐怖が 存在できる ?
そうしたら,あなたが地獄に 放り込まれる というようなことはあり得ない

なぜならば,第一に “あなた” が いないからだ
そして,あなたが天国で酬われるというようなことも あり得ない
なぜならば,第一に “あなた” が いないからだ
あなたは いないーーー
そうしたら
どうして あなたが罪人であったり 聖人であったりできる ?
もし 神しかいない としたら
そのとき そこに
あなたが恐れなければいけないような 何がある ?
あなたは 生まれはしない
なぜならば,第一に あなたは いないからだ
そして あなたは 死ぬこともないだろう
なぜならば,第一に あなたは いないからだ
であれば,そこには 何の誕生も 何の死もない

あなたは 別々じゃない
あなたは この存在と ひとつだ

ひとつの 波としてのあなたは 消え失せるかもしれない
けれども 大海としてのあなたは 生き続けるだろう
そして,大海こそが リアリティーなのだ
波というのは ただの気紛れにすぎない
〈無〉は 何の恐怖も 欲も
何の野心も,暴力も知らない
〈無〉は 何の凡庸さも,愚かしさも,白痴性も知らない
〈無〉は 何の地獄も,天国も知らない
そして そこに 何の恐怖も ないがゆえに
そこには 知性が あるのだ


これは心にとどめられるべき 最大の言説のひとつだ
知性とは 恐怖がないときに 現れる
そのとき
行為は全面的に 違った質を持つ



(08)終わり・・・(09)ヘ 続く