saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第六章 「 第八の 質問 」 (02)

(…〈永遠〉は 創り出されることなく、あなたのところへ 来 る

〈永遠〉は 起こる

それは 為されるのではない )

 

あなたが技法(テクニック)や 方法(メソッド)を 超えたとき

あなたが 技法や方法を すべて落としたとき

あなたが ひとつのことを 見たとき

ーーーただ在るだけで充分だ、ほかには何も いらない

どんな手はずも 整える必要はない

「生きとし生けるものは、そもそもの始めから ブッダである」

あなたが これを 理解したとき

ーーーあなたは 何かに 成長する の ではない

あなたは すでに そこに在る

それは すでに実情だ ーーー

そのとき、あなたは くつろぐ

 

くつろぎとは 方法であってはならない

あなたは ヨーガの 姿勢を通して くつろぐべきではない

それを 理解すること自体が くつろぐことになる

その 理解そのものが くつろぎだ

あなたは くつろぐ

努力が 消える

あなたは ふつうの生活を 生きる

樹を切り、井戸から 水を汲み

料理して 食べ、眠り、愛し

そして ふつうに生きる

ふつうでないものに対する あこがれや欲望を いっさい持たずに ーーー

 

そうすれば ある日、それは そこに在る

あなたが 創り出すものではない

ある日、突然、それは そこに在る

ある日、あなたが眼を開くと それは そこにある

そうなったら それは けっして去らない

しかし、それは自然に来るもので なければならない

さもなければ、あなたに 管理されたものだから、 それは 来ては去ってゆく

それは 一瞥に すぎない

 

あなたは 訊ねる

「 二、三年前、ヨーガと瞑想を通して

私は 祈りの頂点を いくつか体験しました」

それらは 創り出された「頂点」だ

それらは あなたが 管理して得た 夢や想像だ

「私の存在全体がその至福を感じました」

しかし あ な た は そこにいた

その至福を感じても あなたが そこにいた

あなたは 消えていなかった

「すべてが神性でした」

それは 解釈だ

マインドが はたらいていた

マインドが「すべては神性だ」と 言っていた

あなたは 聞いたことがあるにちがいない

あなたは 読んだことがあるにちがいない

あなたのマインドは 解釈していた

「すべては神性で、愛と感謝だ」

これらは マインドのなかを漂う 観念にすぎない

 

しかし、あなたが そこに いた

記憶が そこに あった

さもなければ、誰が「すべては神性だ」と 言うだろう ? 

もし すべてが ほんとうに神性なら

「すべては神性だ」と言うことに 何の意味があるだろう ? 

すべてが神性なら、すべては 神性だ

語る 必要さえ ない

語ることは あなたが すべては神性ではない と 知っているということに すぎない

語ることは あなたが 見せかけている、押しつけている ということにすぎない

 

たしかに、瞑想やヨーガによって創り出された 一種の幸福は あったにちがいない

一種の 喜びは あったにちがいない

そして その喜びの上に、あなたは自分の あらゆる哲学を押しつけた

ーーーこれが神の何たるかだ、 これが神性だ、 これが愛と感謝だーーー

そして 二、三日の間 あなたは その夢を楽しんだ

それは 夢だった

 

「何かの理由で私はそこから外に出ました」

何かの理由の ためではない

それは実に 簡単なことだ

あなたは そこから 外へ出なければならなかった

あなたは 夢のなかに 永遠に住むことは できなかった

誰も 永遠に 夢のなかに住むことはできない

夢は けっして 永遠ではない

さもなければ 現実と夢の区別は 何だろう ? 

 

夢は ただ つかの間の ものだ

遅かれ早かれ あなたは 目を覚ます

あなたは 目を開く

そうすると 夢は消えて ふつうの生活が そこにある

 

「私は そこから出ました

そして気がついてみると 私は暗い谷間に戻っています」

あなたは あの陽のあたる山頂にいた

そしていまあなたは 暗い谷間にいる

共通点が ひとつある

ーーー あなた だ

暗い谷間か 陽のあたる山頂か、それは 問題ではない

問題なのは ただ あ な た だ

自我 (エゴ) が そこに 在ることだ

自我(エゴ)が 暗い谷間にいる

自我(エゴ)が 山頂にいる

自我 (エゴ) が さまざまな夢を 創り出しつづける

 

ひとつ言わせてほしい

その「暗い谷間」でさえ あなたの 夢だ

あなたの 押しつけ、あなたの 観念だ

そこに 暗い谷間は ない

すべてが神性なら、どうやって 暗い谷間が ありえよう ? 

そして暗い谷間が あるなら、どうやって すべてが神性で ありえよう ? 

 

暗い谷間も、光り輝く山頂もない

それは ただ エゴのゲームに すぎない

それは 一方の点から もう一方の点ヘと、両極端を動きつづける

あなたが それを見るとき

すなわち「甘い夢は 夢だ、悪夢も そうだ、両方とも夢だ」ということを 見るとき

そのときには、目覚める ことだ

そして その夢を 両方とも 落としなさい

そのとき はじめて あなたは真実に 触れる

 

しかし 憶えておきなさい

真実が そこにある その瞬間には、あ な た は いない

それこそが 理解すべき 唯一の基準だ、ほかに基準は ない

 

(02)終わり・・・(03)ヘ 続く