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「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

質疑応答集「エゴは落ちるーーーたった今!」02

「エゴは落ちる---たった今!」02
…(時間は 自我(エゴ)が発達し成長するための空間としてあるもの。 部屋が必要なのだ---、時間がその部屋を与えるのだ。)


もしあなたが
これが おまえの生涯の最後の時だ、次の瞬間には撃たれて死ぬのだ! と言われたら------
突如として時間は 消える。
あなたは 落ち着きを失う。

あなたは まだ生きているーーー! が
突然
あなたは 自分が死にかかっているような感じになる。
あなたはもう 何をしたらいいのか考えることができない。
考えることすら むつかしいことになってしまう。
なぜなら
考えるということのためには 時間が必要だからだ。
未来が 必要だからだ。
明日という時間がなかったら
どこに向かって考える?
どのように欲したらいい?
どのように望んだらいい?
時間は 無いのだ、時間は 終わったのだ。


人間に起こりうることで いちばん辛いことは、死が確実で、死期が決まっていて 避けようがないということだ。

死刑を宣告され
監獄に入って 自分の死を待つ------
その人は それに関して何もできない。
死は すでに決まっている。
或る期間がたてば、彼は死なねばならない。

その時を過ぎたら、彼には もう明日はなくなる。
今や 欲することも 考えることもできない。
自らの思いを 投映(プロジェクト)することもできない。
夢を見ることすらできない。
障害は 常にそこにあるーーー
そうなったら 深い苦闘が生じてくる。

この苦闘は自我(エゴ)にとっての苦闘だ。
なぜなら エゴは時間なしには 存在できないからだ。
エゴは 時間の中で 呼吸する。
時間は エゴにとって “ 息 ” になる。
したがって
時間が あればあるほど、エゴにとっての可能性は大きくなっていく。


東洋では、この自我(エゴ)を理解するために多くのことが成しとげられてきた。
深い探求が、丹念な探査が為されてきた。
そして探りあてたことの一つは
あなたがたから 時間が落ちない限り、あなたがたの 自我は落ちないということだ。

明日が存在する限り、エゴも存在する。
明日がなかったら、どうやって エゴを引っぱっていける?

それはまるで、川がないのにボートを引っぱっていくようなもの、重荷になるだけだ。
川が必要だ、ボートが機能できるような川が------

エゴには、時間という川が必要だ。

だからこそ エゴは、いつも “ 少しずつ ” とか “ 段階的に ” という考え方をする。

エゴは言うーーー
OK〈覚醒〉はもちろん可能だ------、だが 時間が必要だ。
それに向かってはたらき、準備を整えて、用意しておかなければならない。
これは たしかにきわめて論理的だ!
あらゆるものごとにとって時間は必要だ。
種を蒔いてから樹が大きくなるまでには時間が必要だ。
子供が 生まれることになったら
もし子供を生もうとしたら
時間が必要だ。
子宮には時間が必要になる。
子供は 成長しなければならないのだから------

あなたがたのまわりでは あらゆるものが成長している。
成長するためには 時間が必要だ------
だから
内面的な成長にも また時間が要る ということは、一見 論理的な感じがする。

しかし
この点を 理解しておかねばならない! つまり
内面的(スピリチュアル)な成長は 種子の成長とはちがう ということだ。

種は成長して 樹にならなければならないが
その 種と樹のあいだにはギャップがある。
そのギャップは 埋められなければならない。
そこには距離がある。

あなたは 種のような成長のし方は しない。
あ な た は す で に 成 長 そ の も の だ!
それは、ただ それが顕現するだけのこと。
“ あ な た ” と、今在るあなたのあいだに 距離はない。
また
あなたと、これから在るだろう あなたとのあいだにも距離はない。
距離はないのだよ!
理想的なるもの、完璧なるものは すでにそこに在る。


したがってほんとうは、これは成長に関わることというよりも、顕われるかどうかの問題だ。
これは 発見することーーー
何かが隠されている、あなたは そのおおいを取る
と、それは そこに在るーーー
それは
あなたが 眼を閉じて 坐っているときのようなものだ。
太陽は 地平線に昇っている------
だが あなたはまだ暗闇の中にいる。
突然、あなたは眼を開けるーーーと
明かるかった、光があったのだ!


内面的(スピリチュアル)な成長というのは 実は 成長などではない。
この言葉には 語弊がある。
内面的な成長とは、一つの顕現のこと。
ずっと隠されていた何かが 現わされる
ずっとそこに在ったもの、それ に あなたが気がつく
そこに それが在ると気づく
あなたは それを 取り逃していたわけではない。
ただたんに忘れていただけ---------
それをあなたは 思い出したーーー
神秘家たちが “ 思い出す ” という言葉を ずっと使ってきているのはこのためだ。
彼らは〈神性〉とは 成就することではなく、ただ思い出すことにすぎない と言う。
あなたが 今まで忘れていたことを 思い出すのだ。


ほんとうに、時間などいっさい要らない。
しかし 頭(マインド)が 言いだす。
あらゆるものごとに 時間は必要だと

あらゆるものごとにとって
成長するための時間が必要だと
そして
もしあなたが この論理的思考の犠牲になってしまったら
あなたは けっしてそれを得ることはない。
そうなったら あなたは先に引き延ばしつづける。

明日こそ、明日こそ、明日こそと あなたは言う。
が、それがやって来ることはありえない。
なぜなら 明 日 は 絶対にやって来はしないからだ。


もしあなたがたに 私の言っていることが理解できたら
つまり、エゴは この瞬間にも落ちることができるということが理解できたら
そして もしそれが真実だったら
そのときには この質問が生じてくるーーー
では なぜ落ちない?
なぜ あなたにはそれが落とせない?
もし段階的な成長ということなど ないのなら
それならなぜ今それを 落とさないのかね?
------それは
“ あなた ” が それを “ 落としたくない ” からだ。

このことは あなたがたにはショックだろう。
というのも、 あなたがたは、自分はそれを、エゴを落としたがっていると 思っているからだ。
再考してごらん、もう一度考え直してごらん。

あなたは 落としたくない
だからこそ それはつづいていくのだ。
それは 時間の問題などではない。
あなた自身が 落としたくないのだから
できることは 何一つありはしない!


それに、不可思議なのは人の 思考(マインド)の動き方だ。
あなたがたは 自分は落とすことを望んでいると思う
が、深いところでは、あなたがたは 自分が落としたいとは思っていないと 知っている。
もしかしたらあなたがたは
それ に もう少し磨きをかけたい
もう少し洗練させたい------そう思っているかもしれない。
が、ほんとうに落としたいとは望んでいないーーー!
もしあなたが ほんとうに落としたかったら、
それを妨げている人など 誰もいはしない
邪魔をしているものなど何もない。
そうと望むだけで それは落とすことができる。
しかし
もし あなたが 落としたくないとしたら
何ひとつできることはない。
たとえ覚者(ブッダ)が千人集まって あなたにはたらきかけたとしても、失敗に終わるだろう。
外側からは 何ひとつできはしないからだ。
ほんとうに
あなたがたは考えたことがあるかね?
それについて瞑想したことがあるかね?
自分が落としたいと望んでいるかどうか------?




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