saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第5話 ーーー 〈無〉の香り (14)

…( 我々は〈自己〉という感覚を持って 生まれてきはしない
それは我々の 遺伝学的資産の 一部じゃない )

赤ん坊というのは 自己と そのまわりの世界を区別できない
その子供が 息をしはじめてからでも
彼が,自分の内側と 外側との間には ひとつの区別があるのだということに気づくまでには何か月もかかる

だんだんと増加する一方の 複雑な学習や知覚経験を通じて
“自分の中” の何かと “外にある” ものとの おぼろげな区別ができてゆく


これが 自我(エゴ)の はいって来る 最初の扉だ

“自分の中” に 何かがある という区別 ーーー

たとえば その子供が 空腹を感じる
それは 内側からやって来るように 感じられる
そうして,今度は お母さんが その子をとんとん叩く
すると,それは 外側からやって来るように 感じられる
さあ,いやでも だんだんと ひとつの区別が 感じられるようになる
そこには,内側からやって来る物事と 外側からやって来る物事がある

母親が 微笑むとき
彼には それが 向 こ う から やって来るように 感じられる
そうして,彼は それに応える
彼は 微笑む
今度は その微笑みは 内の方から
どこか 内側から やって来るように 感じられる
内側と外側という 観念が起こってくる
これが 自我(エゴ)の 最初の経験だ

実際には
外側と内側との間には 何の区別も ありはしない
内側は 外側の 一部分であり
外側は 内側の 一部分なのだ

あなたの家の内側の空と あなたの家の外側の空は 二つの違う空じゃない
覚えておきなさい
それらは ひとつの空なのだ

そして その同じことが あてはまるのが・・・
そこにいる あなたと ここにいる 私 ーーー
それは 二つのものじゃない !
我々は 同じエネルギーの 二つの側面なのだ
同じコインの 裏表なのだ
けれども,子供は 自我(エゴ)の 流儀を覚えはじめてしまう


二番目の扉は 自己同化(self-identity)だ



(14)終わり・・・(15)へ 続く