saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第七章 「 平安に住する者 」 (09)

(…それは 私の左手が 右手と闘いはじめるようなものだ

それは 私の指が 私の体と闘いはじめるようなものだ

どうやって それらが 勝つことができる ? )

それは始めから 決まっている

理解の人は、明け渡す

彼は言う

「神をして在らしめよ

御意のままに為したまえ

御国を来たらせたまえ」

 

彼は言う

「私は もう いない ーーー

私を通って 流れてください

私を ただの中空の竹、葦の笛にしてください

もしあなたが そうお望みなら、私をつかって歌ってください

もし そうお望みでなければ、私を通して 沈黙を通過させてください」

 

彼は ただの 通路になる

彼は 流れと共に 流れはじめる

彼は言う

「生の流れが 私を占領するままに まかせよう

私は 闘わない、泳ぐことさえしない

私は 漂う、私は 風と共にゆく」

 

生に対する このような理解のなかに入ることが「流れ勝つ者」になること と 言われる

しかし これは 不思議な言葉だ

明け渡すことが 勝つこと と 呼ばれている ーーー

それは 闘うことが 失敗や敗北を導き、明け渡し(サレンダー)が 征服や勝利を導くからだ

 

この生は 逆説的だ

仏陀に 何ができよう ?

生は 逆説的だ

明け渡した者たちは、自分が勝利者であることを 証明する

闘いつづける者たちは、ある日、自分が 闘いで全エネルギーを 失ったことを見出す

そして 勝利のしるしは どこにもない

 

憶えておきなさい

アレキサンダーは 失敗した、 フランシスではない

ナポレオンは失敗した、イエスではない

ジンギスカンやチムールは 失敗した、仏陀ではない

真の歴史は

失敗者ーーージンギスカン、チムール、アレキサンダーーーーを 気にかけるべきではない

真の歴史は

仏陀、イエス、フランシス といった 真の勝利者たちのことを もっと考えるべきだ

しかし彼らの勝利は、彼らの 明け渡し(サレンダー)から 生じた

 

ちょっと それを考えなさい

その 美しさ、その祝福を 思い描きなさい

あなたが 闘っていないとき

あなたが それ と 共に 河を ただ流れているときーーー

それは あなたを 大洋に 連れてゆく

それは 大洋に向かって進んでいる

あなたは 不必要に 騒ぎたてている

それは すでに 進んでいるのだ

ただ それ と 共に 行くがいい

そうすれば あなたは 到達する

大洋 ヘ

究極 ヘ

無限ヘ ーーー

 

存在全体への この完全な 明け渡しを、仏陀は「流れ勝つ者の成果」と 呼ぶ

第二段階は、一度 還(かえ)って来る者 と呼ばれる

第三段階は、けっして 還って来ない者だ

そして 第四段階は、アルハットだ

 

流れ勝つ者は 三つの足かせを 捨てる

第一の束縛は、自我(エゴ)、個人性、分離した自己 という観念だ

当然、それが 闘いの 根本原因だ

第二番目は、たんなる規則や 儀式によって 生きることだ

宗教的な人たちは多いが、彼らは 規則や 儀式だけによって生きている

彼らは 宗教のことについては 何も 知らない

儀式は 宗教ではない

規則は 宗教ではない

宗教とは 全面的に 異質な生だ

自覚(アウェアネス) という 生、愛という生、慈悲という生だ

 

しかし、あなたが 世界中を見わたせば

何百万もの人が 教会や 寺、モスクや グルドワラヘ 行き、祈り、あれこれしているのを 見る

それは すべて 儀式だ

宗教は 存在していない

 

(09)終わり・・・(10)ヘ 続く