saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第七章 「 平安に住する者 」 (12)

(…明け渡し(サレンダー)は、為されるべきものでも 為しうるものでもない

それは 行為ではない

明け渡し とは 理 解 だ )

 

「私」は つねに 戦闘的な気分のなかにある

「私」は 闘いなくしては けっして在りえない

それは 闘いを通して 在る

それは 闘いを通して 生きのびる

それは 闘いに 依存している

あなたは 他者と闘っているか

あるいは 変えるとすれば 自分自身と闘いはじめるかの どちらかだ

それこそ僧侶たちが僧院で やりつづけていることだ

彼らは 世間では 闘わない

彼らは 誰とも 闘わない

彼らは 世間を棄てた

今度は 彼らは 自分自身と 闘いはじめる

 

体は「おなかが すいた」と 言うが、彼らは「いいや」と言う

さあ、これが 闘いだ

いまや、自我(エゴ)が 新しいかたちで湧き上がっている

自我(エゴ) は 言う

「ごらん

私は非常にうまく 自分の体を コントロールしている

私は主人で、 体は奴隷だ」

眼は疲れて「もう眠りたい」と言う

すると、あなたは 言う

「いいや

私は 一晩中 起きていることに決めた

これは 私の瞑想だ

私は 特別な瞑想を続けている

眠ることは できない」

そして あなたは いい気持ちになる

いまや あなたは 闘っている

 

体は 少し快適さを 求めているのに、あなたは 石の上に眠る

体は ちょっといい日陰を求めているのに、あなたは 熱い陽ざしのなかに立つ

体は 衣服を 二、三枚 着ることを望んでいるのに、あなたは 寒いなかを裸で立つ

これは 闘いの道だ

 

(12)終わり・・・(13)ヘ 続く