saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第四章 「そのままにしておきなさい」 (最初の質問)

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最初の質問

愛する和尚、

あなたを通して、私の身に何かが起こりました。
でも、言葉には表せません。
何であるのか、私には わかりません。
それでも、それは そこにあるのです。



人間の精神(マインド) は、何でも 体験したことを問いたがる。
破滅への恐ろしい 一歩だ。
それは やめてほしい。

知られざるものを知る、表現できないものを知る、言葉にできないものを知る ーー 私のそばに、ここにいるのは すべてそのためなのだから。
そういうことが起こり始めても、問題にしてはいけない、問うてはいけない。
他ならぬ その問いが妨げになる。
マインドが 何か別のことをやりだし、あなたを混乱させる。

そういうことが起こり始めたら、それを楽しみ、愛しなさい。
味わい、栄養をもらいなさい。
その歌を歌い、その踊りを踊りなさい。
だが、問うてはいけない。
ただ それとともにあり、全空間を開けておきなさい。
それは成長する。
成長するには 空間が必要だ。

あせって、理論化しようとしないこと。
理論は 非常に危険だ。
お腹の胎児を 殺しかねない。
それが何であるのか、何でないのか知ろうとして、比較、命名、分析しだす途端、あなたは 中絶の方へ向かう。
成長しようとしていたものを殺し、失う。
自己破壊的にならず、分析せず、そのまま放っておきなさい。
その存在を感じなさい、だがマインドではなく、心身全体で 感じるように。
心を開いておきなさい、そうすれば 成長する。

それが成長していけば、やがて理解できるようになるだろう。
分析、思考、思索、論理を用いても 理解は生まれない。
体験が深まることによって、理解は生まれる。


私を通して何かが起こったが 言葉に表すことはできない、と あなたは言う、それでいい。
喜びなさい、あなたは祝福されているのだ。
表現できないことが 起こり始めた。
あなたは正しい道を歩んでいる、神の方へ、究極の神秘へ向かっている。
理解できないことが内部で起こる ーー まさにそれは、あなたより大きなものが あなたの中に入り込んだという証しだ。
そうでなければ、理解できただろう、それが何だかわかっただろう。

マインドより大きな 何かが、魂の暗闇に一筋の光が、マインドの暗闇に 一筋の光が入り込んだ。
マインドには 理解できない。
それはマインドの理解を 超えている。
だが注意しなさい、 理解を超えているのではない。
マインドの 理解力を 超えているのであって、理解を超えているのではない。
マインドによる理解ではなく、全器官、全実在、あなた という 全体的存在による理解というものがあるからだ。

だが、分析や吟味から 理解は生まれない。
理解は 体験を血肉化することによって生まれる。
食べなさい !
言葉に表せないものを食べなければならない。
エスは 弟子たちに、「私を食べなさい」と言った。
言葉にできないもの、未知のものを食べなさい、それがイエスの言いたかったことだ。
消化し、血液の中を巡らせ、あなたの 一部とする。
そうすれば、理解するだろう。
体験をすれば、理解は 即座に生まれる。

今、光線があなたを 貫いた。
光線があなたの一部となるよう、それに委(ゆだ)ねなさい。
そうしたときに はじめて、理解するだろう。


この理解は、あなたがこれまで親しんできたようなものではない。
あなたは マインドと その手法しか知らない。
マインドは すぐさま物事にラベルを貼り付ける。
これは何か と あなたは尋ねるが、そのとき実際に尋ねていることは 何なのだろうか。

花の咲いている木を見て あなたは、「これは 何 ?」と言う。
誰かが「バラの木だ」と言うと、あなたは わかった気になる。
誰かが「バラ」という言葉を 口にしただけで、わかった気になる。

だが、 名前を知らないと 少し不安だ。
その見知らぬ花が、あなたに立ち向かい挑戦する。
あなたは、自分の威信が危ういと感じる。
というのも、その見知らぬ花が絶えず、「あなたは私を知らない。 私のことも知らないなんて、どういう知識の持ち主なんだ」と 言うからだ。
花は あなたを激しく打ち続ける。
あなたは不安になる。
この戦いの片を付けたいがために、あなたは 知りたがる。
図書館に行き、本やブリタニカ百科事典で 花の名前を探し出す ーー「バラ」だ。
よし、ラベルを貼った。
さあ、これで楽になれる。

しかし、あなたは 何をしたのだろう ?
バラの木に 言葉を貼り付けただけで、理解したと思っているのだろうか。
あなたは 理解する機会を 失った、挑戦する大きな機会を失った。
しっかり頭に 入れておきなさい ーー なぜなら、バラという名は 人間がバラの木につけたものであって、バラの木は そんな名前など まったく知らないからだ。
バラの木にバラの木の話はをしても、理解はしない。
何の話を しているのだろう ? 何て馬鹿げた話をしているのだろう ?
バラの木自体に 名前はない。
その名は 他の者、あなたのように 知らないでいることが耐えられない者たちが、つけたものだ。

知らないというのは、それほど気がかりなことなのだ。
知らないと とても不愉快になる。
知らない人を見る、「この人、誰 ?」と あなたは言う。
誰かが、中国人だ、アフリカ人だ、日本人だ と言う。
あなたは 楽になる。
何を 知ったのだろうか。
中国人だ と言われただけで・・・極めて多くの中国人がいる、八億もの中国人が。
しかし、彼のような中国人は 他にいない。
事実、その中国人のような人は存在しない。
極めて多くの中国人がいるが、ひとりひとり 個性的で違っている。
それぞれの特徴、独自の実存が備わっている。
中国人という ラベルを貼って、何を理解したのだろうか。
だが、あなたは 楽になる。


その人の宗教は何か ーー 仏教だ、もう一つのラベルが 手に入る。

今 あなたは、少しではあるが さらに知識を得た。
どの政党に所属しているのか ーー 共産党だ。
さらにまた ラベルを集め、あなたは その人を知ったと考える。

知る ということは、マインドが考えるほど 安っぽいものだろうか。
ラベルを貼るのが 知ることではない。
ラベルを貼るのは、開かれていた 智の機会を避けることだ。
その人と 関わりを持っていたなら、その人を知ることができただろう。

バラの木に 一人瞑想していたなら、その香りを鼻から受け入れ、心に届かせていたなら、愛情をもって触れていたなら、バラの木を知ることができただろう。
そのバラの木と 心を通わせていたなら、何か 知ったかもしれない。


バラの木を 完全に知り得ると 言っているのではない。
一本のバラの木を 完全に知ることができれば、全宇宙を知ったことになる。
なぜなら、その一本の木に 全宇宙 ーー 太陽、月、星、過去、現在、未来が 包摂されているからだ。
時間、空間の総体が 小さなバラの木に凝縮されている。
もしバラの木を知り尽くせば、全宇宙を知ったことになる。
そうなったら、知るべきものは 何も残されていない。
小さなものの 一つ一つが、それほどまでに偉大なのだ。

見知らぬ花が あなたの内部で咲きだしても、急いで調べたりしてはいけない。
テーブルに乗せて切り裂き、成分を調べたりしてはいけない。
楽しみ、愛し、その成長を育むこと。
恩寵があなたに降り注ぐ。
あなたは ハシディズムの人になる。
恩寵、それがハシディズムだ。



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