saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第12章「あなたのせいだ」最初の質問−(01)


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「01」

 質問−−−−−−

 OSHO、人が通常とは異なる形態の光や色を瞑想中に見る時 −−− 赤や、黄色、青、黄土色、等々 −−− 

 その時、それらがどの層に属しているかをどうやって知ることができるのですか ? 

 また、人が 純粋な光を見る状態に到達する前に、段階的に順序立って色や光を見ることはあるのでしょうか ? 

 

 

  光それ自体は 無色だ。 全ての色が 光に属している。

だが、光は 一つの色ではない。

光は ただ、色の不在にすぎない。

光とは 白だ。 そして、白は 色ではない。

 

光が 分裂すると、あるいは プリズムを通ると 七色に分かれる。

マインドも また 一種のプリズムの働きをする −−− 内なる プリズム。

 

外界の光が プリズムを通った時、七色に 分かれる。

 

内側の旅の光を見る ということは まだあなたが マインドの中にいる という意味だ。

光を見る ということは、マインドを超えている。

が、色の 体験は マインドの手中にある。

そこで、もしあなたが まだ色を見ているのなら、まだマインドの中にいる。

マインドを まだ 超えていない。

 

まず第一に、覚えておきなさい。

色を見るのは マインドの中の 現象だ。

マインドは 内なる光を分ける プリズムの働きをする。

だから最初、人は 色を見る。

その後、色は消え、光だけが 残る。

光は白だ、そして 白は色ではない。

全ての色が ひとつになった時、あなたは 白色を 感じる。

全ての色が 分裂していない時、あなたは 白色を見る。

そして 色がなければ 黒を見る。

黒と白は 両方、色ではない。

色が 存在しないとき、黒が ある。

全ての色があり、分裂していない状態の時、白がある。

全ての色は、分裂している光なのだ。

 

もし内側に 色を感じるのなら、それは つまり あなたがマインドの中にいることの証だ。

 

色と 体験とは、心的(メンタル)なものだ。

霊的(スピリチュアル)なもの ではない。

 

光を見るのは 霊的なことだ。

色を見るのは 霊的なことではない −−− 

マインドが なければ、色を見ることは あり得ないからだ。

その場合には、光だけが 体験される。

 

第二に、決まった 色の順番はない。

それは あり得ない。

人それぞれ、異なるマインドを 持っているからだ。

が、光の 体験は まったく同じだ。

 

ブッダは光を 体験し、イエスは光を 体験した −−− その体験は 同じものだ、それ以外では あり得ない。

違いを生じさせるものは、もう そこにはない。

違いを生じさせているのは マインドだ。

 

我々は ここにいる −−− 我々が それぞれ違うのは 

マインドのせいだ

もしマインドがなければ、我々を区別している要因、違いを生じさせる 要因は ない。

だから、光の 体験は 同じものだ。

だが、色を見ることは 違う。 色の順序は 異なる。

 

そのために、それぞれの宗教で、異なる色の順序がある。

ある宗教では、最初に この色が来て、最後には あの色が来る、というように信じている。

別の宗教では、まったく違うことを 信じている。

その違いは、実際には マインドの違いだ。

 

たとえば、恐がりの人、恐怖が 深く潜在意識に根ざしている人は、最初に 黄色を見るだろう。

最初に やって来る色は黄色になるだろう。

黄色は 死の色だからだ −−− 

それは 象徴としてだけでなく、実際にも そうだ。

たとえば 三つのボトルが ある −−− 赤、黃、ただの白、何もない白。

そして、それらのボトルに 同じ水を入れるとする。

すると、黄色のボトルの水は 一番 最初に腐ってしまう。

その後、ほかの色のボトルの水が 腐ってくる。

赤のボトルの水が 最後に腐る −−− 最後 に。

それから わかるように、黄色は 死の色だ。

 

だから ブッダは 彼の比丘のためのローブに 黄色を選んだ −−− なぜなら ブッダは「この存在から 完全に死んでしまうことが 涅槃(ニルヴァーナ) だ」と 言っていたからだ。

だから、黄色が 死の色として選ばれた。

 

ヒンドゥー教徒は 赤色の色を 

彼らの サニヤシンのために選んだ。

赤は 生の色だからだ −−− ちょうど 黄色の反対だ。

その色は 着ると生き生きとし、精彩を放つ 手助けをする。

その色は、より多くのエネルギーを 生み出す −−− 

それは 象徴的なだけではなく、実際に、生理的に 化学的に そうなのだ。

 

だから 非常にエネルギッシュで、生き生きとして 

生への愛に 深く根差している人は、赤を 最初に見る。

彼のマインドが、より赤に 開いているからだ。

恐怖志向の人は、より黄色に 開いている。

 

だから人によって 色を体験する順序が 違う。

ごく静かな人、とても穏やかな人は、最初に 青を見る。

それは、その人の マインドによる。

だから、決まった順序はない。

あなた方のマインドには、決まった順序がないからだ。

各々のマインドは、その方向性、傾向、構造、その性格において様々だ。 各々のマインドが 違っている ! 

 

そして その違いゆえに、見る色の順序も 違う。

だが、一つのことは 確かだ。

それぞれの色には 定まった意味がある。

順序は 一律ではない、それは あり得ない。

が、色の意味は 定まっている。

 

たとえば、黄色は 死の色だ。

だから、瞑想に入って 最初に黄色を見るのは、あなたが 恐怖志向の人間だ ということ −−− そのマインドは、最初に 恐怖に開いている、という意味だ。

だから あなたが どこに行こうと

まず 最初に気づくのは 恐怖だ。

あるいは、新しい状況での マインドの最初の反応は 恐れだろう。

何か奇妙なことが ある時はいつも、マインドの 最初の反応は 恐怖で一杯になる ということだ。

 

 

 

「01」終わり「02」へ 続く