saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第2話ーーーQ&A 三番目の質問 (01)

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【 三番目の質問 】
ナーガルジュナ(龍樹菩薩) のシュンニャヴァーダ(sunyavada 空観) と,
アヴァヤークリトーパデーシャ(avyaktitopadesha) ーー世尊仏陀の語られざる,定義され得ざる教え ーーとの間には何か違いがあるのですか ? ”


そこにはまったく 何の違いもありはしない
もしそこに 違いがあるように見えるとしたら
それは ただ形式の差だけにすぎない
ナーガルジュナは偉大な哲学者だ
世界で最も偉大な哲学者のひとりだろう
世の中に
ナーガルジュナのような あれほどの透徹性を持った人間は まれだ
ごく少ない


だから,彼の言い方はとても哲学的だ
論理的だ
絶対的なまでに論理的だ


仏陀は ひとりの神秘家( mystic )だ
哲学者ではない
彼の ものの言い方は
哲学的というよりももっと詩的だ
そのアプローチは違う
しかし,ナーガールジュナが言っているのは
仏陀が言っているのと まったく同じことなのだ
彼らの形式は確かに違う
けれども
彼らが何を言っているのか,ということが理解されなければならない


あなたは聞く・・・
この質問は オマナート.バルティ(インド人の弟子のひとり) からだ
“ ナーガールジュナの空観と・・・”


シュンニャヴァーダとは
空(くう)の理論,空(くう)の哲学という意味だ
英語には シュンニャ(sunya) に相当するふさわしい言葉がない
シュンニャとは 空(くう)
しかも,消極的(ネガティヴ)ではなく,ごく積極的(ポジティヴ)な空を意味する
それは 無を意味する
が,ただの無ではない
“ 無(nothingness) ” ーー
それは “ 何もないこと( no-thing-ness ) ”という意味なのだ
シュンニャとは空(から)
何もかも 空っぽという意味なのだ
だが,その空そのものは 全き〈現存〉をもってそこにある
だからそれは ただの空ではない
それは空っぽであり,純粋な空間ではあるけれども
在 る 空 のようなものなのだ
あらゆるものが そこに入ってきては出てゆく
しかし,それは とどまる
シュンニャとは空(そら)のようなもの
純粋な〈現存〉だ


その中に生きているにもかかわらず
あなたは それに触ることができない
けっして それなしでいられないのにもかかわらず
あなたは それを見ることができない
あなたは その中に存在する
ちょうど 魚が海の中に存在するように
あなたは 空間(スペース)の中に,シュンニャの中に存在するのだ


シュンニャヴァーダ (sunyavada) とは
あらゆるものが “ 何もないもの( no-thing )” から出てくるという意味だ
ほんの数分前
私はあなた方に 真実と 現実(リアリティー)との違いを話していた
現実(リアリティー)とは 物の世界を意味し
真実とは 何ものもない無の世界
シュンニャを意味する
一切のものが 無から現われ出でて
無の中へと 消え去ってゆく


(02)へ続く