saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第10話ーーー Q&A 最初の質問 10

六番目はユーモアのセンス
笑い
遊び心
深刻でない誠実さーーー
古いサンニャーシンには笑いがなかった
死んでいた
退屈だった
新しいサンニャーシンは
もっともっと彼の実存に笑いを持ち込まなければならない
彼は笑うサンニャーシンでなければならない
なぜならば
笑いはくつろぎだからだ
そして,あなたの笑いは
ほかの人たちにもリラックスする状況をつくることができる
寺院というのは
よろこびと笑いとダンスとではち切れんばかりであるべきだ
キリスト教の教会は悪い見本だ
ん ? 教会というのは実に墓場のように見える
その上十字架までかかっていて
まるで死を崇拝するかのようだ
ちょっと病的だ
教会の中では笑えない
お腹の底からの大笑いなど許されまい
みんながあなたのことを気違いか何かだと思うだろう
教会に一歩足を踏み入れると
みんな深刻にこわばって陰気面になる

私にとっては
笑いこそごく本質的な宗教的資質のひとつだ
それはサンニャーシンの内なる世界の一部にならなくてはならない
ユーモアのセンスーーー


七番目は瞑想的であること
〈ひとり〉であること
ひとりのとき
あなたが自分自身の内側に絶対的にひとりであるときに起こる神秘な絶頂(ピーク)体験ーーー
サンニャースはあなたを ひ と り にする
孤独じゃない
ひとりだ
寂しくはない
が,それはあなたにひとつの〈寂静〉を与えてくれる
あなたはひとりハッピーでいられる
あなたはもう他人に依存しない
あなたは自分の部屋でひとり坐って
まったくハッピーでいることができる
クラブに行く必要なんかない
いつもいつも友だちに囲まれている必要はない
何も映画に行く必要はない
あなたは目を閉じて
内なる至福の海に沈んでゆくことができる
それが瞑想的であることのすべてだ


そして八番目

人とのかかわり
人間関係ーーー
覚えておきなさい
あなたは,どうやってひとりになるかを学んだとき
はじめて人とかかわることができる
けっしてそれ以前じゃない
二つの〈個〉だけがかかわることができる
二つの〈自由〉だけが近づいてお互いに抱き合うことができる
二つの〈無〉だけがお互いの中に貫通し合い
そしてお互いの中に溶け合うことができる
もしあなたにひとりでいる力がなかったら
あなたの人間関係など嘘っぱちだ
それはあなたの寂しさを回避するただのトリックだ
それ以外の何ものでもない
そしてそれが何百万という人たちのやっていることなのだ
彼らの愛はひとりでいられないことから来るものでしかない
だから彼らは誰かにくっついてゆく
彼らは手を握る
彼らは自分たちが愛しているかのように装う
けれども,奥深いところにある唯一の問題は
彼らがひとりになれないということだ
だから彼らは誰かまとわりつく人を必要とする
彼らは誰かすがりつく人を必要とする
彼らは誰か寄りかかる人を必要とする
そして,その相手もまた
もうひとりを同じようなやり方で使っているにすぎない
その相手もひとりになれないから
その力がないからだ
彼あるいは彼女も
あなたを自分自身から逃避するためのひとつの道具として
知らず知らずに使っている


からし
あなた方のいわゆる愛している二人の人間たちというのは
だいたいのところ自分たち自身を憎んでいると言ってもいい
そして,その憎しみがゆえに
彼らは逃避しているのだ
相手がその逃避するのを助けてくれる
そこで彼らは相手に依存するようになる
彼らは相手に中毒してしまう
あなたは自分の奥さんなしでは生きてゆけない
あなたは自分の旦那さんなしでは生きてゆけない
それはあなたが中毒しているからだしかし,サンニャーシンは〈ひとり〉だ
私が 七番目の特徴はひとりであることだというのはそこなのだ


そして,八番目の特徴は愛
人間関係だ
そして可能性にはこの二つがある
あなたは ひとりハッピーであることもできるし
一緒にいてもまたハッピーでいることができる
これが人間に可能な二種類のエクスタシーだ

あなたはひとりのとき
サマーディ(samadhi 三昧)の中にはいって行くこともできる
そして,あなたは深い愛の中で誰かと一緒にいるときにも
サマーディの中にはいって行くことができる


(11) へ 続く