saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第10話ーーー Q&A 最初の質問 11···(最終回)

(…これが人間に可能な二種類のエクスタシーだ
あなたはひとりのとき
サマーディ(samadhi 三昧)の中にはいって行くこともできる
そして,あなたは深い愛の中で誰かと一緒にいるときにも
サマーディの中にはいって行くことができる )


そして,こういう二種類の人たちがいる
外交的な人たちは
他人を通じて彼らの絶頂(ピーク)を持つ方が楽であることを発見するだろう
だが,その一方がもう一方と相容れないということはない
その二つは連れ立って行ける
一方の方が大きな比重を占めることはあるだろう
そして,それが
あなたが内向的であるか外交的であるかの決定要因になるだろう
仏陀の道は内向的な人の道だ
それはただ瞑想についてしか語らない
キリストの道は外交的な人の道だ
それは愛について語る


私のサンニャーシンは
その両方の合成でなくてはならない
どちらかが強調されることはあるだろう
ある人は断固として
他人よりも自分自身の方にずっと波長を合わせやすいだろう
そしてある人はちょうど正反対
誰かほかの人との方が波長が合う
だが,一種類の経験にへばりつく必要は何もない
いつでもその両方の経験の可能性を残しておくことはできる


そして九番目は〈超越〉
〈道 TAO〉だ
無自我
無心(ノーマインド)
誰でもないこと
無ーーー
〈全体 whole〉と波長が合っている
それが般若波羅密多心経
ザ·ハート·スートラの全メッセージなのだ
gate gate paragate
往けり, 往けり, 超えて往けり
parasamgate bodhi svaha
全て超えて往けり
なんという目覚めよ, 嗚呼 ! ーーー


〈超越〉こそ
サンニャーシンの最後にして最高の特徴だ
しかし,これらはただの指標にすぎない
これらは定義じゃない
これらはごく流動的に取りなさい
私が言ってきたこと
それを固定的に取りはじめないこと
ごく流動的に
ひとつのおぼろげな視界(ヴィジョン)
黄昏の視界(ヴィジョン)で見た方がいい
空に太陽がギラギラしているときじゃない
それだったら,物事はごく限定されてしまう
黄昏に陽が落ちて
まだ夜の帳が降りて来ない
その両方
ちょうどその中間
その幕間ーーー
そういうふうに
すべて私があなた方に言ったことは取りなさい
流動的で,流れるような状態にとどまること

けっして自分のまわりにどんな固定性もつくらないこと
けっして定義可能になんかならないこと


第10話 ーーーQ&A 最初の質問……おわり


THE HEART SUTRA
by BHAGWAN SHREE RAJNEESH

Original Copyright © 1978


般若心経
1980年1月10日 初版発行

著者 バグワン・シュリ・ラジニーシ
訳者 スワミ.プレム.プラブッダ
発行 株式会社めるくまーる

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