saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第10話ーーー Q&A 最初の質問 09

五番目
創造性ーーー
古いサンニャーシンはとても非創造的だった
人はサンニャーシンになってヒマラヤの洞窟に行き
そこに坐っていれば,それで完璧に上出来だと見なされていた
それ以上は何もいらない
ジャイナ教の坊さんたちを見に行ってごらん
彼らは彼らのお寺に坐って何もしていない
完全に非創造的で,鈍くて,愚かな顔をしている
知性の炎などこれっぽっちもない
それを,人々は拝んだり
彼らの足に触ったりする
「なんで足に触るんですか ? 」と聞いてごらん
人々は「この方は世間を捨てているのです」と言う
まるで世の中を捨てることそれ自体がひとつの価値だと言わんばかりだ
彼が何をした ?
すると人々は言うだろう
「彼は断食したんですよ
彼は何か月も断食したんですよ」
まるで食べないことそれ自体ひとつの価値だと言わんばかりだ

だが,彼が何を描いたか
どんな美を彼が世界に創り出しているか
どんな詩を彼が書いているか
どんな歌を彼が存在にもたらしているかなどと聞くのは禁物だ
どんな音楽
どんなダンス
どんな発見
彼の創造になるのは何か ? ーーー
人々はこう言うだろう
「何を言ってるんですですか ?
彼はサンニャーシンですよ !
ただお寺に坐って人々が彼の足に触るのを許す
それがすべてです」
そして,インドにはこういう人たちがあまりにも大勢鎮座している


私のサンニャーシンの概念は
彼のエネルギーは創造的であり
世界にもう少し余計に美をもたらし
もう少し多くのよろこびをもたらし
どうやって踊り,歌い
音楽にはいり込むかという新しい道を発見し
いくつかの美しい詩をもたらすだろうというものだ
彼は何かを創造するだろう
彼は非創造的ではあるまい
非創造的なサンニャーシンの時代は終わった
新しいサンニャーシンは
創造的であってはじめて存在することができる


彼は何か寄与すべきだ
非創造的なままでいるということはひとつの罪悪に近い
というのも
あなたは存在しているのに,寄与しないのだからーーー
あなたは食べる
あなたは空間を占める
それなのにあなたは何ひとつ寄与しない
私のサンニャーシンたちは創造的な人間でなければならない
そして,深い創造性の中にいるとき
あなたは神の近くにいる
それが本当の祈りだ
それが本当の瞑想なのだ
神は創造者(クリエーター)だ
そしてもしあなた方がクリエーターたちでなかったら
あなた方は神から遠く離れてしまうことだろう
神はただひとつの言語しか知らない
創造性という言語だ
あなたが音楽を作曲するとき
あなたがその中に完全に没入しているとき
〈聖なるもの〉の何かがあなたの実存からしみ出してくるのはそのためだ
それが創造性のよろこびなのだ
それこそがエクスタシーなのだ
スヴァーハ ーーー


六番目はユーモアのセンス
笑い
遊び心
深刻でない誠実さーーー



(10) に 続く