saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第10話ーーー Q&A 最初の質問 07

「 けれども,その信頼の手はじめは
まずあなた自身の有機体への信頼でなければならない
自分のハートを信じなさい」


ここに誰かがひとつ質問をしてきている
彼は彼の奥さんと暮らす決心をしたと言う
なぜならば
彼は自分の奥さんと暮らし
けっして彼女を離れず
けっして別れず
そして,けっしてほかの女性と寝ないのは
ひとつの大きな精神性だと考えるからだ
ある人にとってはそうであるかもしれない
ほかの人にとってはそうでないかもしれない
それは場合による
さて,質問者は
自分はこういう決心をしたのだがそこにいくつも問題があると言う
「私はほかの女性に魅力を感じて,それに罪悪感を抱きます
そして,私は自分の妻には魅力を感じません
そのことにも私は罪悪感を抱いています
私は妻とセックスしたくありません
その欲望が湧いてこないからです
けれども,彼女を満足させるために
セックスはしなければなりません
彼女とセックスすると
今度は自分が自分に正直でないことに罪悪感を抱いてしまいます
これにはまったくうんざりしています」


もしあなたが愛を交わしたくないとしたら
そのときには愛というのは世界で一番醜いものだ
最も美しいものだけが最も醜いものになり得る
愛は最も美しい経験のひとつだ
ただし,あなたがその中に流れ込んでゆくとき
それが自然に内から出てくるものであるとき
それが情熱的であるとき
あなたがそれで一杯なとき
それに圧倒されて,それに支配されて
それに酔っ払って,それに飲み込まれているときに限る
そうしてはじめて
それはあなたをよろこびの最高の頂へといざなう
だが,もしあなたがそれに支配されていないとしたら
そして,あなたの奥さんに
あるいはあなたの旦那さんにどんな愛も感じていず
あなたがそれを作っているのだとしたら
そのときには英語の表現のしかたは “ティーク(tik)”,正解だ
ん? メイク·ラヴ ーーー
そうしたら,あなたはそれを 作 っ て (make) いる
それは 起 こ っ て いるのじゃない
それは醜い
それは “ 売春 ” だ
誰にそれをやっているかは問題じゃない
それは売春だ
それは罪悪だ
そして,こんなことは
いずれにせよあなたを精神的になんかするはずがない
あなたは性的に抑圧されるだけだろう
それだけのことだ
もし寝なければ罪悪感を抱くだろうし
もし寝たとしても罪悪感を抱くだろう
さて,この人は夫婦がどうあるべきかというひとつの観念を持っている
これでは奥さんもまた苦しんでいるに違いない
両方ともお互いに厄介払いしたい
ところが,厄介払いできない
彼らは自分たちの有機体を信頼していないからだ
もしあなたの有機体が
「一緒にいなさい
一緒に成長しなさい
一緒に流れなさい」と言っているならば
もしあなたの有機体がハッピーで,わくわくして,興奮していて
そこにエクスタシーがあるとしたら
一生でも二生でも三生でも
好きなだけ何回でもその女性と連れ添うがいい
一緒にいなさい
すると,あなたはどんどんと神に近づいてくるに違いない
そして,あなた方の親密さは
ひとつの精神的(スピリチュアル)な質を持つことだろう

ただし
この手の親密さでない強いられた親密さは
あなたをどんどんと非精神的にするだけだろう
そして,あなたの心(マインド)は自然に何かしら逃げ道を探し求めることだろう
あなたの心(マインド)はどんどんとセックスに取り憑かれるに違いない
そしてそこにあまりの脅迫観念があったら
どうして精神性の中に成長してゆくことなんかできる ?


有機体に耳を傾けなさい
そして,自分の有機体が言うことをやるだけの勇気を持つことだ


しかし,私は奥さんと別れろと言っているのじゃない
だが,もしそうならなければならないものだとしたら
そうならなければならない
そして,それはあなた方双方にとってよいことだろう
あなたは少なくとも奥さんにそのくらいの借りはある !
もしあなたが少しでも奥さんのことを気にかけ
そして,あなたがもう彼女のことを愛していないのだとしたら
そのときにはあなたはそう言わなくてはいけない
深い悲しみの中でーーー
別離は悲しいことだろう
だがどうしようがある ?
あなたは無力だ
あなたは怒って別れるんじゃない
あなたは恨みつらみを持って別れるんじゃない
あなたはあなたのハートの中に途方もない無力さを感じながら別れることだろう
あなたは彼女と一緒にいたい
けれどもあなたの有機体はノーと言っている
だとしたらどうしようがある ?


あなたは自分の有機体に無理強いすることもできる
そして,有機体はそこに踏みとどまって
その夫婦関係を継続することもできる
だが,そこには何のよろこびもあるまい
そして,よろこびなしでどうしてあなたが関係を続けられる ?
そうしたらその結婚は嘘だ
法律上はちゃんとしている
それ以外は嘘っぱちだ


サンニャーシンとは彼自身の有機体を信頼する者を言う
そしてその信頼は
彼が彼の実在にリラックスするのを助けてくれる
そして彼が存在の全体性の中にリラックスするのを助けてくれる
それが自分自身と他人に対する普遍的な受容をもたらす
それが一種の “ 根づき ”
“ 集束(centering) ” を与えてくれる
そして,そうなったとき
そこには大変な強さと力がある
なぜならば,あなたはあなた自身の体に
あなた自身の実存に集束しているからだ
あなたはしっかりと地面に根をおろしている
そうでない限り,みんな根こぎにされた人ばかりだ


“樹々” は地面から引き抜かれていまにも死にそうだ
彼らは生きてなんかいない
人生にたいしたよろこびがないのはそのためだ
笑いという質は見られない
お祝いが欠けている
そしてたとえもし人々が祝っても
それもまた嘘っぱちだ


たとえば
今日はクリシュナの誕生日でみんながお祝いしている
どうしてあなたにクリシュナの誕生日を祝うことなんかできる ?
あなたは自分自身の誕生日だって祝ったことがないのだ
それを,誰かが五千年前に生まれたと言うーーー
あなたがそれとどんなかかわりがある ?
そして,どうしてそんなものを祝うことができる ?
全部インチキだ

どうしてあなたにイエス·キリストの誕生日を祝うことなどできる ?
それは不可能だ
あなたはあなたの内側にやって来た神も祝ったことがないのだよ
どうして二千年前にどこかの馬小屋で生まれた誰かほかの神様なんか祝うことができる ?


まさにあなたの体の中に
まさにあなたの実存の中に
まさにこの瞬間
神がいる
それをあなたは,そっちは祝ったこともないのだ
そのあなたにお祝いなどできるはずがない
お祝いはまずあなたの わ が 家 で
すぐ 近 所 で起こらなければならない
そうなったら
それはひとつの大津波となって存在の一面に広がってゆく


四番目は自由の感覚だ



(08)へ 続く