saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第1話ーーー七段の梯子 (05)

第二番目は,精神身体の寺院 = スワディスターナだ

フロイト流の精神分析はここで機能を果たす
それはスキナーやパヴロフよりは少し高いところまで行く
フロイトは心理というものの神秘に
もうほんの少しよけいに踏み込んでいる
彼はただの行動主義者ではない
が,彼は夢より先は一歩も出ない
彼は夢の分析に終始する


夢というのは
あなたの中でひとつの幻想として存在するものだ
それは何かを指し示してはいる
それは象徴的なものだ
それは,意識の明るみに引きずり出されるべき無意識からのメッセージをたずさえている
だが,そこでつっかえてしまうべき理由は何もない
夢を 使 う のはいい
が,夢に な っ て しまわないこと
あなたは夢じゃない


そして,それについて
フロイト派の連中のようなあんな大騒ぎをする必要は何もない
彼らの努力の全体は,夢の世界という次元へ向かうことにかかっているようだ
それに注目するのはいい
それについてはごくごくクリアーな立場を取ること
そのメッセージを理解しなさい
しかし,本当のところ
夢の分析をしてもらいに誰かほかの人のところへ行く必要などひとつもない
もしあなたが自分の夢を分析できないとしたら
ほかにできる人は誰もいない
あなたの夢はあなたの夢だからだ
そして,あなたの夢はあまりにも個人的で
ほかの誰にもその通り夢見ることなどできるものじゃない
かつて誰ひとりあなたが夢見るように夢見た人はいないし
この先誰ひとりあなたが夢見るように夢見る人はいないだろう
誰もそれをあなたに説明してくれることはできない
その人の解釈はあくまでもその人の解釈にしかすぎない
それをのぞき込むのはあなたにしかできないことだ
さらに言えば
実際には夢を分析する必要など何もない
夢をその全体性において見てごらん
はっきりと,よく気をつけて見てごらん
そうすれば,そのメッセージはわかるだろう
それはそれほど声高なものだ
3年も 4年も
5年も 6年も精神分析にかかる必要などどこにもない


毎晩のように夢を見て
昼間は精神分析医に分析してもらいに行くような人は
だんだんと夢のような材質で取り囲まれてしまう
ちょうど第一番目があまりにもムラダーラ,物質的なものに取り憑かれてしまうように
第二番目はあまりにも性的なものに憑かれてしまう
というのも,第二の
精神身体的なリアリティーの領域はセックスだからだ
第二番目は何もかもセックスという観点から解釈しだす
あなたが何をやっても ------
フロイト派の人のところへ行ってごらん
彼はそれをセックスに還元してしまうだろう
彼にはそれ以上のものは何ひとつ存在しない
彼は泥の中に生きている
彼はハスを信じない
彼にハスの花を持って行ってごらん
彼はそれを見て,それを泥に還元してしまうに違いない
彼はこう言うだろう
「こんなものは何でもない
ただの泥だ
それは汚い泥から出てきたんじゃないのかい ?
もし汚い泥から出てきたとしたら
それは汚い泥にきまってる」
つまり何もかもその原因に還元して
それを本物(リアル)だとしてしまうのだ
そうしたら,あらゆる詩はセックスに還元されてしまう
あらゆる美しいものはみな
セックスと倒錯と抑圧に還元されてしまう
ミケランジェロが偉大な芸術家だとしよう
そうしたら
彼の芸術は何らかの性活動に還元されずには済まない
それも
フロイト派の人たちは馬鹿馬鹿しいほどのところまで走る
彼らの言い分はこうだ
ミケランジェロにしろゲーテにしろバイロンにしろ
何百万という人々に大変なよろこびをもたらす彼らの偉大な作品のすべては
抑圧されたセックス以外の何ものでもない,と
なるほど,ゲーテは自慰をしようとしているところを止められたのかもしれない
何百万という人たちが自慰を止めさせられている
が,彼らはゲーテになりはしない


これは馬鹿げている
だが,フロイトはトイレの世界のマスターだ
彼はそこに住んでいる
それが彼の寺院なのだ
芸術は病気にさせられる
詩は病気にさせられる
何から何まで倒錯ということにさせられてしまう
もしも,フロイト派分析学が勝利をおさめたとしたら
世の中にはひとりのカーリダーサもいなければ
ひとりのシェークスピアミケランジェロ
ひとりのモーツァルトも,ワグナーもいなくなってしまうだろう
誰もかれも,“正常” になってしまうだろうからだ
いま言ったような人たちは “異常” な人間だ
こういう人たちは,フロイトによれば心理的に病んでいるのだ
こうして,最も偉大なものが最低のものに還元されてしまう


仏陀フロイトによれば病気だ
なぜならば,彼の言っていることが何であれ
みな抑圧されたセックス以外の何ものでもないからだ
このアプローチは,人間の偉大さを醜さに還元してしまう
気をつけなさい
仏陀は病気じゃない
実際は,病気なのはフロイト
仏陀の静寂
仏陀のよろこび
仏陀の祝いーー
それは病気じゃない
それは健康の完全な開花なのだ


ところが,フロイトにとって
正常な人間というのは一度として歌も歌ったことがなければ
踊りを踊ったことも,瞑想したことも
とにかく創造的なことは何ひとつやったことのない人なのだ
それが即ち “正常” なのだ
会社に行き,家に帰り
飲み,食い,眠り,そして死ぬ
創造性の痕跡などひとつとして残さない
どこに何のサインも残さない
こんな “正常” な人間は
実に凡庸な,冴えない,死んだ人間のように見える
フロイトについては
彼自身創造することが何もできなかったために
ーー彼は非創造的な人だったーー
創造性そのものを病気として非難したのだという疑いもある
彼が凡庸な人間だったという可能性は充分にある
世界中のあらゆる偉人たちに彼が気分を悪くするのは
彼の凡庸さのなせるわざなのだ


凡庸な心(マインド)というのは
偉大なものはすべて引きずり降ろそうとする
凡庸な心(マインド)というのは
何か自分より大きなものがあるということを受け容れられない
それではいい気持ちがしない
これは凡庸族のかたき討ちなのだ
精神分析の全体と人間の生についてのその解釈ーー
それに気をつけなさい
それは第一番目よりはましだ
そう,第一番目よりは少しは先を行っている
だが,人はさらに先へ進まなくてはならない
さらに さらに 超えて行くことを やめてはならないのだ


第三番目は心理の寺院だ
アドラーはその心理の世界に住する



(06)へ続く