saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第3話 ーーー 知識は禍いなり(14)

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この存在は 不潔でも純粋でもない
罪人であるような人は 誰もいないし
聖人であるような人も 誰もいない
仏陀の洞察は まったく革命的だ

彼は,何ひとつ不純ではあり得ないし
何ひとつ 純粋でもあり得ない
物事は ただそのあるがままなのだ と言う

そんなものはみな われわれが もてあそぶ 心(マインド) ゲームにすぎない
そうして,われわれが 純粋性という 観念をつくり出せば
そこに 不純がやって来る
われわれが 聖人という観念をつくり出せば
罪人がやって来る


あなたは 罪人を消し去りたいかね ?
彼らは
あなた方の 聖人様たちが消え失せて はじめて消え失せられる
それ以前は 無理だ
彼らは共存関係にある
あなたは 不道徳に消えてほしいかね ?
それだったら,道徳が 消えなければならない
道徳が 不道徳を つくり出すのだ

道徳的理想が,それに従うことのできない
それに 歩調を合わせられない 一握りの人たちに対する非難を生む
そして,不道徳にしようと思ったら できないものはない

ちょっと,何々は道徳的なのだ という観念を抱いてごらん
そこから “ 聖なる牛 ” を でっち上げられるものなら何でもいい
そうすると,もうそれが厄介の種になってしまう


仏陀は 何ひとつ絶対に汚れてなどおらず
何ひとつ 絶対に清浄でもない と言う

純粋だの不純だのというのは 心(マインド) の態度にすぎないのだ


あなたは 一本の樹について
それが 道徳的であるか 不道徳的であるかなど 言い当てることができるだろうか ?
あなたは 一匹の動物について
それが罪人であるか聖人であるか 言い当てられるだろうか ?

この究極的なヴィジョンを 見ようとしてごらん
世の中には,どんな罪人も どんな聖人もいやしない
何ひとつ道徳的なものもなければ,何ひとつ 不道徳なものもない
この〈受容〉のもとで
どこに懸念の可能性などあるだろう ?
何ひとつ 改善すべきものもないし
何の価値もないからには,どんな目標(ゴール)もありはしない
この度は どんなゴールもない旅なのだ
これはひとつの 純然たる旅なのだ
これはひとつの 遊び,ひとつの “ リーラ( lila )” なのだ
そして
その裏にいて それを や っ て いる人など 誰もいやしない
一切は 起こっている
そして,それを や っ て いる人は 誰もいない

もし そこに や り 手 ( doer ) が いるとしたら
そのときには 問題が起こってくる

そうしたら,その や り 手 に 祈ってみたり
その や り 手 を説得してみたり
その や り 手 と仲よくなったり忙しい
そうしてはじめて あなたは御利益を もらえる
そして,その や り 手 と仲よくしない者は拒まれる
彼らは 地獄で苦しむことだろう

それが キリスト教徒や ヒンドゥー教徒や回教徒たちの考え方だ
回教徒は,回教徒の人たちは 天国に行くが
そうでない者たちは かわいそうに地獄へ行くと思っている

そして,キリスト教徒や ヒンドゥー教徒たちも同じこと
ヒンドゥー教徒たちは
ヒンドゥー教徒でない者には 何のチャンスもないと思っている
キリスト教徒たちは
教会の門を くぐらない人たちは
永遠の地獄を苦しむ定めになっていると思っている
果てしのない,無限の,永久の地獄 ーー


仏陀は言う
罪人などというものはないし,聖人などというものもいない
何ひとつ 純粋でもなければ,何ひとつ 不純でもない
物事は そのあるがままなのだ,と

ちょっと 一本の樹を説得して
「なんで君は 緑なの ?
なんで赤じゃないの ? 」と聞いてごらん
それでその樹が あなたに耳を貸したら
彼女は ノイローゼになってしまうだろう
「なぜ私は 赤じゃないのかしら ?
なぜかしら ?
これは本当に もっともな質問だわ
なぜ私は緑なのかしら ? 」ーー
緑を咎めて,赤を賞めてごらん
遅かれ早かれ
その樹は どこかの精神分析医の寝台の上で 分析され
治療を受ける羽目になる


最初に あなたが問題を つくり出す
そうしたところへ 救いの主がやって来る
それは 結構な商売だ


仏陀はまさに その根を断ち切る
彼は言う
あ な た は あ な た な の だ
何ひとつ 改善すべきものなどないし
どこにも行くべき ところなどない,と
そして,これは そっくりそのまま私の アプローチでもある


あなたは 可能な限り,ぎりぎりまで完璧なのだ
それ以上は 不可能だ
“ それ以上 ” などというものは
ただあなたに トラブルを つくり出すだけだろう
“ もっと ” という観念が あなたを狂気へと駆り立てる

自然を受け容れなさい
自然に生きるのだ
シンプルに,内発的に
瞬間から瞬間へと ーー

そうすれば,そこに 神聖さ (holiness) が ある
それは あなたが〈全体 whole〉だからだ
聖人になったからじゃない


“・・・汚されることも清浄であることもなく,足りないことも完全であることもない ”

何ひとつ完全でもないし,何ひとつ不完全でもない
こういう価値づけ というのは無意味だ


(15)へ 続く